映画『ハウス・ジャック・ビルト』子供にも容赦無し!…でネタバレ戯言

天才とキ○ガイは紙一重、しかしこの監督はややキチ○イ寄り。『映画/ハウス・ジャック・ビルト』のあらすじ・ネタバレ含む戯言を…と言いたい所ですが、この作品でなにをどう考察・解説しろと?

相変わらずのド変態ですよ、このラース・フォン・トリアーという監督は…。

ハウス・ジャック・ビルト


2018年 アメリカ

キャスト:
マット・ディロン
ブルーノ・ガンツ
ユマ・サーマン
シオバン・ファロン
ソフィエ・グロベル
ライリー・キーオ
ジェレミー・デイビス
デイヴィッド・ベイリー

監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー

ネタバレ無しのあらすじ

強迫性障害を抱えながら、建築家を夢見るジャック(マット・ディロン)。

しかし彼は芸術かぶれで自意識過剰で哲学者きどりの連続殺人犯。すなわちサイコのクソ野郎。

そんなジャックが語る、12年間に起こった5つの出来事。

分割で戯言

このラース・フォン・トリアーという人は映画を章立てにするのが好きな監督で、本作も『ジャックが語る5つの出来事』として章仕立てになっております。

…といことで、こちらも出来事に分けて戯言を。それぞれの最後にキャストについての戯言もつけておきます。

第一の出来事

郊外で車が故障。たまたま通りがかった男に助けを求めるが、それは殺人鬼で不運にも殺されてしまう…。

…というのは映画ではよくある話で、スリラー慣れしている人間ならばごく自然に受け入れられる展開。

この『第一の出来事』もそんな流れを予感させるのですが、そこは変態ラース・フォン・トリアー。猟奇殺人映画に慣れた鑑賞に対する皮肉か挑戦か、一発目からかなり意地悪な玉を投げてくるわけです。

不運にもジャックの車に乗ってしまったのは

あんた頭おかしいのか!?と呆れるほどのクソ女。

普通であれば殺人犯の車に乗ってしまった女性に対しては「おいおい危ないぞ!殺されるぞ!」と心配してしまうものですが、弱者である被害者のほうを異常とすることで「こんな女では殺されても仕方ないな…」と、殺人行為を容認する感情へと誘導していく。

そればかりか「手元にはジャッキ」という露骨なシチュエーションのまま執拗に追い打ちをかけることでいいからもうさっさと殺してしまえよ!と、いつの間にかジャックの殺人を肯定する側に。

このように鑑賞者を世ではタブーとされている感情に導いておきながら、「あれ?それで良いのですか?」とニヤニヤするようなやり口は彼の得意技。実にいやらしくエゲつないヤツですよ、この人は。

まぁ個人的には女がユマ・サーマンだったという時点で「よし、さっさと殺してしまえ」と思いますけど。一度で良いから私も彼女の顔面をジャッキでぶん殴ってみたいものです。

第二の出来事

『第一の出来事』で思わずジャックに共感してしまったならば、それは監督の思うツボ。次は思いっきりハンドルを逆に切られます。

登場早々にどこかの民家で押し問答しているジャックは

もはや何を言っているのかわからないほどの異常者(笑)

彼を「やはり頭がおかしいヤツだった」と思わせるには十分過ぎるほど支離滅裂な会話ですが、「年金二倍」の話に食いついて家に上げるオバちゃんには…

いやいや!この会話の末に家に入れるあんたも十分頭おかしいよ!

ちなみにこの女優、シオバン・ファロンは同じくラース・フォン・トリアー監督作品である『映画/ドッグ・ヴィル』にも出演していますし、あの『映画/ファニーゲームUSA』にも隣人として出演。エグい作品ばかり出ていますなぁ。

その後ジャックは「強迫性障害のせいでめっちゃ家の中が気になる」という天丼ネタを執拗に繰り返して笑いを誘い、死体を引きずりながら帰還し、ひな鳥の足を切断した事を思い出し、写真を撮り直すために別の死体を持ち歩き、撮った写真を新聞社に送り・・・とボリューム満点の展開。

さらに彼が提言する『街灯の理論』なども解説してくれるも、ぶっちゃけ意味がわかるようでわからない。

おそらくこのあたりが『この映画の鑑賞を続けるか否か』の分かれ道になるでしょう…(笑)

第三の出来事

あまり大きな声では言えませんが、個人的に最も素晴らしいと思うのはこの『第三の出来事』

子供が殺されるのが胸クソ悪い?しかも殺すだけに留まらず死体に対して冒涜的な行為をしている?…いやいや、殺人モノは大人も老人もバンバン殺されますし、死体を飾られたり弄ばれたりするのは珍しいことじゃないじゃないですか。

成人を殺すシーンや死体を粗末に扱うシーンは「映画」として受け入れるクセに、子供となると過剰反応ってのはどうなんですかね。

おそらくアレコレと屁理屈をこねて反論されるのでしょうが、「大人はOK、子供はNG!」「白人はOK、黒人はNG!」「男はOK、女はNG!」といった偏った思想に対する監督の挑発は興奮すら感じましたよ。子供の死体を弄ぶ?いいぞもっとやれ、ってなもんです。

しかし母親は…。

なんというか…ものすごくピュアに「このピクニックを楽しみにしていた感」が漂っているじゃないですか、彼女。
渡された帽子を照れながらかぶる姿や、一生懸命用意したであろうご馳走を見ると、胸を締め付けられるような気分になりますな。

まぁ子供たちにはまるで同情できないクセに、彼女にだけ激しく同情してしまう私もどこか異常なのでしょう…。

ちなみに演じているのはソフィエ・グロベル(ソフィー・グローベルと表記される場合も)。日本ではあまり知られていないデンマークの女優さんです。

第四の出来事

第一で揺さぶり、第二で突き放し、第三で置き去りにするような展開からの『第四の出来事』

「恋の話」とか言っておきながら相変わらずカオスな展開が繰り広げられるのですが、もはや予想通りでしょう。

例のごとく全く説明はなく、どういう状況でどういう関係なのかいまいちわからないジャクリーンという女性。隣の部屋にいながらオモチャの電話で会話するあたりはそれなりにロマンス感がありますし、その後は生おっぱいもご披露してくれるのですが…もちろんノーマルなラブシーンになどは突入せず。

嫌な予感しかしない点線を胸に書いてみたかと思えば、予想通りにおっぱい切除。ぎゃー。

果ては死体の腐敗をワインの製造過程のウンチクにすり替え、ブドウの腐敗を語ってみたかと思えば…いつの間にやら急降下爆撃機スツーカの話に。

しかしここまで来ると鑑賞しているこちらも「うんうん、ジャックは今日も平常運転だな」と安心感すら感じるのが不思議。

ちなみにこのおっぱい切り取られちゃった女性を演じているライリー・キーオは、なんとあのエルビス・プレスリーのお孫さんだそうですよ。


第五の出来事

ここまででも十分すぎるほどの困惑展開だったのに、それが序の口とすら思える『第五の出来事』

どうやらジャックは

一発の弾丸で何人の頭をブチ抜けるか

…という実験がしたくてたまらないご様子です。うん、自由に生きれば良いよ。

弾丸が間違っていれば買いに戻り、自分を警察に引き渡そうとする宮崎駿を殺し、パトカーを奪って倉庫へ舞い戻る。急いでいるからサイレンはそのまま。

実験の流れで「開かずの間」がついに開くことになり、見ているこっちとしてはそこに何があるのか・・・と期待してしまうも、そういったベタな展開は裏切るのがラース・フォン・トリアーですから、もちろん部屋には何もない。

しかし片隅に冒頭から声のみで登場していたヴァージがちょこんと座っていました。

彼が現実の存在でないことは冒頭から予測できていましたが、まさかそっち方向に持っていかれるとは…。てっきり『ジャックの別人格』もしくは『ジャックの脳内お友達』だと思っていましたよ。

エピローグ

ヴァージに導かれ、ジャックが堕ちていくのはいわゆる『地獄』。うーむ…。

広義での『芸術』をテーマとしたところは面白いですし、人間の本質や業にまで触れているところも奥深い。しかしここで宗教的な要素をぶっこんで終わりにされるというのは・・・正直なところ残念。

そこらへんはお国柄や宗教観の違いなどがあるので仕方ない部分ではありますけど。

個人的な戯言感想

本当であれば、ジャックの行動に実在の殺人犯が暗喩されているという部分、『ダンテの小舟』(ドラクロワによる絵画)になぞられた赤いフード『神曲』などについても言及するのが理想なのでしょうが、全てを追っていったら収拾がつきませんし、どちらにしろ私の浅い知識と感性では限界がありますから。

見る人の数だけ感想と解釈があるような作品ですので、それぞれがそれぞれの結論に到れればよいかと。

私ですか?そりゃもちろん、

やはりラース・フォン・トリアーはド変態野郎だった。

…という結論に尽きます。個人的にはドッグ・ヴィルのほうが好きでしたなぁ。