今回は『映画/ラストナイト・イン・ソーホー』 60年代イギリスの古き良き音楽に光と影をシンクロさせたムードある映像、さらに人気女優アニャ・テイラー・ジョイと注目度急上昇のトーマシン・マッケンジーを添えた、掴みはオシャレ感バリバリの作品ですな。
まぁ掴みだけですよホントに。雰囲気に騙されて甘く見ると手痛いしっぺ返しを食らうような作品ですからな。
そしてなんと当記事は『映画で戯言三昧』約半年ぶりの更新。
仕事にかまけて半ば引退していたワシを嬉しくありがたい感想で呼び覚ました『ばななどん』さんからのリクエストになります。それにしてもこんなに長くブランクが空いてイケるのか、わし。頑張れ、わし。
ラストナイト・イン・ソーホー
2021年 イギリス
キャスト:
トーマシン・マッケンジー
アニャ・テイラー・ジョイ
マット・スミス
ダイアナ・リグ
リタ・トゥシンハム
テレンス・スタンプ
サム・クラフリン
マイケル・アジャオ
マーガレット・ノーラン
監督:エドガー・ライト
脚本:エドガー・ライト、クリスティ・ウィルソン=ケアンズ
ネタバレ無しのあらすじ
60年代のファッション&音楽が大好き、デザイナーを目指すエロイーズ(トーマシン・マッケンジー)は、ついに憧れの地ロンドンでその第一歩を踏み出す事となった。
ちなみに彼女は心霊などが見える、いわゆるそっち系の体質。
老婦人が営む下宿屋の一室を借りることになったエロイーズは、60年代のソーホー地区でシンガーを目指す女性、サンディ(アニャ・テイラー・ジョイ)と自分が一体化したかのような夢を見る。
「あらやだ素敵!ここは60年代ド真ん中のロンドンだわ!」
…などと喜んでいるのも束の間。
夜な夜なサンディとして別の人生を送るエロイーズは、やがて彼女の身に起こる大変な事件まで追体験することになるのであった。
・・・といった流れで、華やかだったり不穏だったりホラーだったりとやたら忙しい作品。
キャストで戯言
主演はトーマシン・マッケンジー。
わしゃ完全にノーマークの女優でしたが、序盤のイモくさい雰囲気から徐々にアカ抜けていく成長っぷりをしっかり演じ切っており非常に素晴らしい。心なしかアンゴラ村長のような素朴さもプリティ。いやいやこりゃ予想外の伏兵じゃないですか。このように『1本の作品の中で成長していく役者』、大好物ですよ。
そして本作はダブル主演となっており、対となるのはアニャ・テイラー・ジョイ。こちらは今や飛ぶ鳥を落とす勢いですので、説明不要ですな。
さらに60年代イギリスに焦点を当てた作品だからなのか、当時ボンドガールとして人気を博したダイアナ・リグ(大家)、同じく60年代の007シリーズに出演したマーガレット・ノーラン(パブの女店主)が起用されております。
なおダイアナ・リグは残念ながら公開前に死去しており、本作が遺作。また一人、惜しい俳優が世を去ってしまいました…。
完璧な滑り出しでソーホー!
60年代のムードある音楽、煌びやかなネオン、人が溢れ活気のある街並み。オールディーズ系が好きな人にとってはそれだけでテンション上がりまくる本作序盤。
音楽にシンクロさせた光と影、映像表現と共にエリーとサンディもシンクロしていく…という流れは、とてもスタイリッシュで心地良いじゃないですか。まさに古き良き時代を現代の映画技術で表現したエンターテイメントと言っても過言ではないでしょう、たぶん。
この手の『二人の人間が入れ替わるように展開する』もしくは『1人の中に2人の意識を存在させて話が進む』というのは映画ではありがちな表現ですが、エリーの『心霊(的なもの)が見える』という設定を上手に活かしつつ、VFX技術を駆使した映像美を用いている点も実にお見事。
これまたベタに嫌なルームメイトや同級生に翻弄されながらも頑張る田舎娘…という設定も、トーマシン・マッケンジーの真っすぐな演技と歪んだ嫌味を入れないシナリオのおかげで、すんなり入りやすい。
ちと露骨すぎる伏線の張り方は気になるものの、序盤は完璧な滑り出しと言って良いでしょう。これぞ映画!といった空気を存分に堪能させてくれます。
・・・でもね、ロンドンは怖い町なの。油断してはダメよ。
堕ちるぜソーホー!
「光が強いほど影も濃くなる」
…というゲーテの名言もありますが。
やはり『自信満々で突っ走ってすんなりデビュー』→『才能を認められて人気者』…なんて美味い話はそうそう落ちていないもの。
有名なデザイナーを夢見てロンドンに飛び込んだエリーがエゲつない同級生や都会のエグさに心を痛めていくように、華やかな舞台を夢見て夜の街に飛び込んだサンディもまた、その街に潜む影に飲み込まれていく・・・というのが中盤の流れ。
さぁ念願のデビューだ!!…と思いきや、彼女は歌うどころかシンガーの添え物として尻をフリフリさせられ、挙句それに群がる男達の夜の相手をさせられる・・・というド定番の沈められ方はとても生々しく、エグい展開が大好物のわしでも少々胸が痛いですよもう。
ここの「ついにステージに・・・と思ったら、変なマリオネットのおまえは誰じゃー!…というかサンディはバックダンサーの中じゃー!」の光景を目の当たりにした時のエリーの表情、実にイイですなぁ。
そしてこのあたりから『サンディと一体化した状態』で描かれることが多かったエリーが徐々に『サンディを客観視する存在』として描かれるケースが増えていく…というのも実に深くて興味深い。
当初は『夢を追って光の当たる場所へ飛び出す』という点でシンクロしていた二人の人生が、その後の展開で徐々に乖離していき、光を掴みつつあるエリーに対しサンディは救いのない世界へと堕ちていく。
結局のところエリーはサンディの人生を追体験することで何かを得、行動を変えることはできるものの、その関係はあくまで一方通行。サンディに対してなにかしらの影響を及ぼす事はできないのですよ。それが受け入れ難い内容であっても、許されるのは傍観者であることのみ。これは母親の幻影にも共通する点ですな。
作中、映画表現としてサンディがエリーを認識しているかのようなシーンがいくつかありますが、それはあくまで映画的な演出でしかなく、何かを訴える事もできず呼び声も届きません。
この『互いに影響を及ぼしているようで、実はそうではない関係』を微妙な変化で表現していく点は実に素晴らしい。
ついでにフランス料理店の看板の点滅『赤・白・青』が、不穏なシーンでは赤にしか点滅しない…というのもお上手ですな。
注!)
次項からがっつりネタバレを含みます
未鑑賞で詳しく知りたくない方はレコード屋に行った後に映画を鑑賞し、そしてまたここに戻ってきて下さい。
読めるぜソーホー!
…と、息をのむ演技や表現の奥深さに唸らされ、グイグイと引き込んでくるラストナイト・イン・ソーホーのなのですが・・・。
残念ながら後半は気になる部分が多すぎて、少々モチベーションが落ちてしまうのが惜しい。いやホント惜しい。
作中、サンディをテキトーかつ同じセリフで口説いてくる男達の中で、一人だけ違う接し方をしてくる客がいるじゃないですか。
この男が出てきた瞬間に…
コイツがあの謎の爺か!
…と、すぐにわかってしまうのが残念。
ここがあまりにもバレバレなせいで「あの老人が絶対にジャックよ!」と追うエリーに同調できず、やや置いてけぼり感が否めず。
こういった『バレバレのミスリードを追わされる展開』ってのは、映画鑑賞で冷める大きな要因でもありますな。
さらに本作の最大のどんでん返しであろう…
大家がサンディだった!
…も比較的早くから予想できてしまうため、「…ええ、でしょうな」となってしまうところが悲しい。
ご丁寧にその前に『サンディの部屋にあった人形』と『アレクサンドラ宛の手紙』を見せてくるのも余計なお節介でしかなく、こっちが宿題をしようとしている時に「宿題しなさい!」と言われているような気分ですよ。
結果、大事な部分ではこちらの予想を全く覆すことのないシナリオになっている事が残念でなりません。
・・・・・
・・・と思うでしょう?
でもね、ロンドンは怖い町なのよ。
どうしてそうなったソーホー!
前述したように、『サンディ=大家』はわしゃ早々に予想していました。ええ、していましたとも。
しかし彼女が男たちを次々とアレしていたというのは完全に予想外。
いやいや、中盤からずっと変だと思っていたんですよ。「なぜサリーを追うのがサンディを欲望の対象にしていた男達の亡霊なのだろう?」と。
彼らがエリー(サンディ)を追う明確な理由は見当たらないし、そもそもなぜあのような姿の亡霊になっているのかも説明できない。
…とは言え、そこはホラー映画あるあるで「単なる怖い演出として深く考えてはいけないのだろう…」で流してしまっていました。いやいや、まさかしっかりと繋げてくるとはね。すまんソーホー、普通に予想を覆されたよ。
しかしですね、本当に衝撃なのはそこから先なのですよ・・・。
ラスト15分で始まる怒涛のアレは何!?
・・・え?わし今までなんの映画見てたっけ?
ムード満点の音楽と上質な映像で、夢を抱きながらも時代や周囲の人間に翻弄された二人の女性の物語・・・・じゃなかったっけ?
燃えるようなVFX(実際に家燃えてるけど)、まるでゲームのような映像で繰り広げられるファンタジックホラー映画なんか見ておらんよ!?炎の中で手を伸ばすジョンの姿もインパクト強すぎん!?
もう例えるならばアレですな。
テクニカルな試合展開のボクシングで感心していたはずなのに、選手が急に派手なブレーンバスターを決めてプロレスが始まったような気分ですな。
いいのかソーホー、本当に最後にコレで良かったのかソーホー!?
追記の余談)
ちなみに『大家=すでに死者だった』というオチも予想の中に入れていた方、います?
エリーのそういう体質は物語の大事な要素ですし、なにより『大家がエリー以外の人間と接するシーンが一切描かれていない』というのが気になるじゃないですか。
いわば『シックス・センス・オチ』ですな。
ジョンが呼び鈴を鳴らして「エリーいますか?」と言った瞬間にその可能性が消えましたけど。
超個人的な戯言感想
・・・というわけで。
最後の最後でド級の困惑を与えてくる『映画/ラストナイト・イン・ソーホー』でしたが、そこから続くラストは非常に心地よい流れで一安心。そしてジョンの存在も非常に大きかった。こういった『絶対的な善人キャラ』を傍に配置してくれているだけで、物語の柔らかさや温かさに大きな影響を与えますし。
結果、「なんだか疲れたけど面白かった」という感想に落ち着く良き映画でした。この内容と表現で爽やかな余韻が残る映画…ってのも珍しい気がしますな。
なお洋画でこの手の内容は「男を極端なクズだらけに描き、過剰に女の強さをアピールする」というバカフェミ作品になりがちですが、本作はそこらへんを客観的かつフラットに描いていたのが好印象。そうでないと歴史的な過ちを見つめ直す気すら失せますから。
個人的にはぜひ多くの方に見て頂きたい作品ですが、くれぐれも「60年代好きー。オールディーズな雰囲気好きー。アニャかわいいー」という浮かれた根性で見ないように。
そんなノリで見られるのは序盤だけ。中盤はエグく後半は血がブシャー、最後に直下型ブレーンバスターをぶっ込んでくるようなカオス作品ですからね。
そう、ロンドンは怖い街なのよ…。
超個人的なオマケ
ここからは少しスペースを頂いての私信。
冒頭でも書きましたが、本投稿は『ばななどん』サンからリクエストを頂いての戯言です。
わしの仕事は文章を書くのとは別の脳ミソ部位と精神状態を使うため、本業に専念すればするほど物書きから遠ざかっておりまして・・・ぶっちゃけこの『映画で戯言三昧』も「もう記事を増やさずとも良い。将来的には削除も視野に…」などと思っていたのですよ。
そもそも映画は人それぞれ感じ方や感想が異なりますし、加えてわしの文章は独善的でアレな物言いが多く、当ブログに寄せられるのは『面倒くさい輩からの面倒くさい長文持論』が9割。それがコメント欄を設置していない理由でもあり、いったいどの程度読まれて受け入れられているのかわからないのですよ。
そこに不意に舞い込んだ、嬉しくてありがたい感想。
丁寧な感想とリクエストを頂いたことで久しぶりにモチベーションが湧き、書くことを目的として映画を鑑賞しました。そして拙い文章ではありますが7~8時間かけて執筆(わしゃ何十回も最初から読み返しては修正、読み返しては修正…のスタイルなので時間がかかるのです)したことで、改めて「ああ、物書きって楽しいな」と感じさせて頂きました。ありがとうございます。
ブランクのせいで文章力も劣化していますし、独りよがりで意味不明な内容になってしまったような気もしますが、まぁそれはいつもの事。
何はともあれ喜んで頂ければ幸いです…。