注!)当記事はネタバレ・真犯人に関する内容を含みます。未鑑賞の方はご注意ください。
今回の1本は『映画/マーシュランド』。大好きなスペイン映画になります。
昔からスペイン映画の重苦しく生々しい雰囲気は好きだったのですが、この『マーシュランド』は特に重く深い。さらには解釈によってさまざまな結論に至る作品ですので、何度見ても「これが真実か!?いや、もしかしたら…」という気分が抜けない。
決して「よ~し、メシ食いながら軽くクライムスリラー作品でも観るかっ!」というノリで挑む映画ではありません(笑)
マーシュランド
2014年 スペイン
主なキャスト:
ラウール・アレバロ
ハビエル・グティエレス
アントニオ・デ・ラ・トーレ
ネレア・バロス
ヘスス・カストロ
アナ・トメノ
監督:アルベルト・ロドリゲス
脚本:アルベルト・ロドリゲス、ラファエル・コボス
ネタバレ無しのあらすじ
1980年、アンダルシア地方の湿地帯にある町で少女二人の失踪事件が発生。
ペドロ(ラウール・アレバロ)とフアン(ハビエル・グティエレス)の二人の刑事が捜査を担当するが、少女たちは無残な姿で発見され、遺体には強姦・拷問の痕跡が。
さらには捜査を進めるうちに、過去にも同様の事件が起こっていた事が明らかになる。
民主化による弊害、麻薬密売、児童性愛、貧困…さまざまな社会の闇を織り交ぜつつ、明らかになっていく真相とは…。
・・・といった内容の作品。
二度見必至の深すぎる内容
伏線が大量に散りばめられているうえに、スペイン映画独特の『一見無意味に思えるようなダラダラした描写』も数多くあり、とにかく頭が追い付いていくのが大変。
登場人物も多めですので、初回鑑賞時はそれぞれの名前を覚えながら人物相関図を脳内に描いていくだけでパンクしそうになります(笑)
さらには肝心の『結末』も非常に解釈の幅が広い作りになっているため…ネタバレ・解説・考察系ブログでも十人十色の独自解釈が溢れている作品でもあります。
本記事でも個人的な考察を述べますが…この映画は騙し絵のように『人によって見え方が違い、かつそのどれもが間違いとは言えない』といった感じがします…。
これは有名な絵。『老女の絵』にも見えますし『奥を向いている女性』にも見えます。
最初にどちらに見えたか、自分としてはどちらの絵だと思うか…は人それぞれですが、だからといってもう一方の見え方を『間違っている』とは言えません。
こういう事柄に対しても「いやいや、奥を向いてる女でしょ!老女とか言っているヤツは頭おかしいよ」とか言っちゃうタイプの人が多い気がするんですよね、今の世の中…。
もちろん「これが真実!」と明確な場合もありますが、映画は得てして「人によって解釈が違う」という事が多いものです。
…と、こんな絵まで引っ張ってきたうえに屁理屈こねて何を言いたいのかというと…
的外れかもしれないけど、勘弁してね!!
…ってことです(笑)
ここからネタバレと独自解釈を含むよ!!
激動の時代
まずは内容や伏線の前に…
冒頭から「民主主義がどーのこーの…」といった流れがありますので、そこらへんの時代背景を理解しておく必要があります…が、ここは戯言三昧。堅い内容のお勉強はタブーです。
『長く続いたフランコ独裁体制から民主化した事によって、国民の暮らしや意識に変化が生じている微妙な時期』といったくらいにざっくり理解すればよろしいかと。
少女たちが口を揃えて「この田舎町を出て、都会で暮らしたい」と言っているのも、そういった時代変化の影響によるものです。
散りばめられた伏線
この映画はとにかく意味ありげな伏線が大量にバラ撒かれますが、その全てが明確に回収されているというわけではありません。
観ているこっちの脳内で「あ、アレはここの伏線だったのか!?」「あの伏線は、こういう意味か!?」と回収していくのですが「・・・だと思う」の域を出ないものも多く、終始モヤモヤ。
そもそもスペイン映画は、登場人物の描き方や伏線の張り方、ミスリードの手法などがアメリカ映画とは一味違っていたりするので、なおさらモヤモヤです。
ここで伏線を1つ1つ挙げ、それぞれに意味を解説していくとアホみたいに長い文章になってしまいますので・・・そこらへんはすっ飛ばします(笑)
なにより、この映画の最大の論点はラストにありますから…。
フアンは犯人(の一味)なのかっ!?
これです、これ。本映画の考察でバチバチと火花を散らしているのが『結局フアンは犯罪に関わっていたのか、いないのか』です。
当サイトのような場末の変人ブログにまでお越しいただいている方であれば、これまでにイロイロな考察・解釈を目にしていると思います。フアン=真犯人説や、フアン=犯人ではない説、その他の独自考察などなど…多くの意見を見聞きしたうえで、自分なりの解釈が生まれていると思います。
あくまでも私個人としての解釈や感想を述べさせていただきますので…「へぇー、そう考えましたか」程度に読んでいただければと…。
どちらにも見える…
まず一番の焦点である『写真に写っていた男はフアンなのか否か』という点ですが…
私個人としてはココは正直、どちらとも解釈できる…で結論が出ていません。さきほどの女性と老婆の絵のような気分です。
たしかに写真は鏡に映っている男は左手に腕時計をしており、有力者コラレス氏は時計を右手、フアンは左手に着用していました。
彼の過去に関しても『少女も殺す情け容赦ない拷問マン、という噂は真実だった』と明らかになりましたが、だからといって現在もそうであるとは限りません。過去は過去です。今はマジメな刑事ある可能性は否定できません。女好きだけど(笑)
ところがどっこい…独裁体制から民主主義に変わっていく時代背景と、その変化に対応できず、いつまでも過去の価値観をひきずっている人間模様を見ていると「人の本質はそう簡単には変わらない」というメッセージが含まれている気もするんですよね…。
これを言っては身も蓋もないのですが、この映画はありきたりなクライムスリラー作品のように『特定の事件において、誰が犯人なのか』という狭い視点で考える作品ではないと思えてくるんです。
冒頭と物語中に何度も描かれる『俯瞰の視点』は、そういう事を意味しているのではないかと。
『フアン=犯人の一味』という視点で鑑賞すれば様々な伏線がそれを裏付ける形に見えてきますが、『フアン=犯罪には関わっていない』という姿勢で鑑賞すると、それらが巧妙なミスリードであるようにも感じます。
一番最後のどんでん返しとして『フアンも犯罪に関わっていたのか!?』という要素をぶっ込んできているので、さもそれが全ての種明かしであるかのように感じてしまいますが・・・
この町全体、マーシュランド(湿地帯)に漂う重い空気、人間模様、それぞれの思惑、それら全てが残酷な犯罪の要因であり、そこにフアンが関わっているか関わっていないか…そんな事は全体を俯瞰で見れば些細な事柄である…と言われているような気もします。
犯罪モノとしては「いやいや、映画なんだからそこが大事だろ!」と言いたくなる気持ちはわかりますけど(笑)
最後の俯瞰視点
「自分なりの解釈を…」なんて偉そうな事言っておきながら、結局フアンが犯人なのかそうじゃないのか、それすらもモヤモヤした事しか書いてないじゃないかっ!と怒られそうな内容になってしまいましたが…
この映画自体が良い意味でモヤモヤを楽しむような作品なんですもの!(笑)
最後に車に乗りこむ際、フアンが「万事解決だろ?」と言った後の意味ありげ(に見える)表情、それをじっと見つめるペドロの表情。この部分だけでアレコレと長文で考察できるような深さを感じますが、私が印象に残ったのはその後。走り去る車を俯瞰視点で映し出すシーンです。
平行して走る二本の道。同じ方向ではあるものの決して交わる事はなく、川によって二つの道は隔てられています。
この部分がフアンとペドロの関係性を表しているような気がしたんです。
刑事として同じ方向をむいてはいるものの…互いの間には埋められない溝があり、決して交わる事もできない。ただただ一定距離を保ったまま、別の道で平行して進んでいく…という。
もしかしたらこの先たどり着く場所は別かもしれませんし、一方が行き止まりとなるかもしれません。
とにかくこの映画は『〇〇〇かもしれない』という要素が多すぎて、スッキリエンディング至上主義の人には不向きな映画ですな…。
最後はくだらない戯言だよ!
戯言三昧らしいシメを…
当サイトではできるだけ小難しい屁理屈をこねないように心がけているのですが、やはりこういった作品になるとアレコレと書かざるを得ませんでした。なのにハッキリとした考察を書けておりません。
さぁさぁ、お茶を濁しましょう。とりあえずおっぱいの話でもすればみんな喜ぶでしょう。
終盤、セバスティアンがサクサク殺られた後、車のトランクを開けたらそこには・・・マリーナが押し込まれていました。
この姿がまた・・・。
まさかこんなに強烈なおっぱいパワーを秘めた女の子だとは思いませんでしたよ。
もうフアンが犯人かどうかなんてどうでも良いです。
この映画の結論としては…
人によって解釈が分かれ、そのどれもが間違いとは言えない。だがしかし、おっぱいは正義。これは揺るがない事実。
…と言う事でよろしいでしょうか。
そう結論付けておけば、あーだこーだと論争が起きる事もないのではないかと…。