ネタバレ『映画/アフターライフ』死んでたの?生きてたの?

感想やネタバレサイトでも意見が割れる『映画/アフターライフ』ですが、もう最初に結論から言っておきます。数々の伏線から導き出されるとおり、クリスティナ・リッチ演じるアンナは…

生きています。

あっちでもこっちでも「そりゃ違うだろ!」と憤っている方がいるようですので、「なぜ生きていると言えるのか」をゆるーく解説してみようかと。

アフターライフ


2009年 アメリカ

主なキャスト:

クリスティナ・リッチ
ジャスティン・ロング
リーアム・ニーソン
チャンドラー・カンタベリー

監督:アグニェシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルー
脚本:アグニェシュカ・ヴォイトヴィッチ=ヴォスルー、ポール・ヴォスルー

ネタバレ無しのあらすじ

小学校教師のアンナ(クリスティナ・リッチ)と恋人のポール(ジャスティン・ロング)は互いに愛し合ってはいるものの、どうにもすれ違いや誤解ばかり。「あんたなんてもう知らーん!」と嵐の中を車で飛び出したアンナは事故に遭ってしまう。

気が付くとそこは葬儀屋主人のエリオット・ディーコン(リーアム・ニーソン)の屋敷地下。どうやらアンナは事故で死んでしまったらしく、エリオットは死者と会話する能力があるらしい。

「そんなん嘘やー!」と暴れるアンナに対し、エリオットは時に優しく、時に厳しく、時に変なテンションで「おまえは死んだのだ」という事を理解させようとする。

一方ポールも「死んだなんて嘘やー!」の勢いで、エリオットに絡みまくるわ、子供も殴るわ、警察も困らせるわの暴れっぷり。

果たしてアンナは本当に死んでいるのか・・・・

・・・といった内容の作品。

死んでる?生きてる?

さてさて本作最大の論点「屋敷地下に運び込まれた時点でアンナは死んでいるのか、それとも生きているのか」から。

結論は冒頭でも言った通り『アンナは生きている(死者ではない)』で、実は監督自身が公開後のインタビューにて「アンナは生きている。エリオットは異常者のシリアルキラーなのだ」とハッキリ言いきっています。

・・・・が、監督がそう言っているにも関わらず、なぜか意見が分かれるのがこの作品のミソ。

伏線なども含め、曖昧な部分が多い事が「もしかしたら本当に死んでいて、エリオットは本当に死者と会話できるのでは?」というミスリードから抜けられない原因になっているのでしょう。

それゆえに本国でも意図しない論争を呼ぶこととなり、監督自らがネタばらしするという悲しい事態になったようです。

言わばわかりづらいギャグを言ってしまったがゆえに、自分で自分のネタ解説をしているようなもの。こりゃなんとも切ない気分ですなぁ…。

さてさて、作品中に散りばめられた『伏線』を1つづつ追いながら、生きている理由を考察してみましょ。

伏線「薬品」

ポールが警察を困らせている最中、話に出てくる「ヒドロニウム・ブロマイド」という薬品。どうやら仮死状態のような状態になる薬とのこと。

エリオットはちょいちょいアンナに注射を打っていますが、終盤でこの薬品が「ヒドリニウム・ブロマイド」であることが明かされています(ラベルがしっかり見えている)。

せっかく「生きているか死んでいるか」をボカした流れになっているのに、ここはあまりにも露骨すぎて萎えますな…。

伏線「息で曇る」

中盤、地下から逃げ出したアンナを見つけた際、息で鏡が曇ってしまったのを見たエリオットはこっそり拭き取ります。

終盤、アンナも鏡に息がかかって曇ったの見て「自分は死んでいない」と確信します。

もしアンナが死んでいて、これらがアンナの妄想や願望からくるものであれば、こっそり拭き取るシーンも不要でしょう。

伏線「車」

これは気づきづらい伏線ですが・・・

冒頭、アンナが嵐の中車を走らせていると、後方からガンガン煽ってくる車があります。・・・これ、エリオットの車なのですよ。

『たまたま同じ車種・カラーだった』では映画としてはおかしい話ですので「アンナの事故そのものが、エリオットによって引き起こされたもの」という事になります。

始めてエリオットとポールが顔を合わせた際、エリオットはポールの職業をすでに知っていました。その理由付けとなる「小さな町ですし、職業柄情報も多いので」という発言は、なぜアンナが狙われたのか?という理由にもつながります。アンナの生き方や状況をエリオットは知り、彼女は「生きるに値しない」としてターゲットにしたのでしょう。

それ以外にも細かい伏線はチョイチョイあり、ぶっちゃけ私としてはなぜ「アンナは死んでいる。これは生と死の狭間の話です」などというトンデモ結論になるのか謎なくらいですなぁ…。

でもイロイロとずさん(笑)

…というわけで本作は決して死者と会話するファンタジー作品ではなく、リアルなサイコ野郎の物語ですから、終盤エリオット邸の地下に運び込まれたポールが会話するシーンも『もちろんポールも生きている』と考えて良いでしょう。

しかし「もし事故らずに無事に墓地についていたらどうするつもりだったの?」という気持ちも。

そもそもアンナを事故らせる手段も「めっちゃ煽る」という、どこぞのヤンキーのような行動。もっと知的にどうにかできなかったんですかねぇ…。

超個人的な戯言感想

エリオットは墓穴を掘りながら「葬るのは死んだからではなく、生がないから」「私にはさまよう死体が見える。彼らは愚痴ばかりで意欲もない」と述べます。

彼にとっては生きるという事に一生懸命にならず、不平不満を並べながら惰性で生きている世間の人間は「生きている」とは言えず「さまよっている死体」と見えるのでしょう。

だから、葬る。それもただ殺すのではなく、今までの自分の生き方を悔いる時間を与えたうえで。

いやぁ実に素晴らしいサイコ野郎ですな。こういう「頭のイッてる哲学を持つ殺人者」は大好物ですぞ。

なお彼の後継者としてこれまたサイコ感を出しているチャンドラー・カンタベリーは、『映画/ノウイング』にてニコラス・ケイジとも共演していたり。

とにかくこの『映画/アフター・ライフ』は死んでるとか死んでないとかに話題が集中してしまう映画ですが、そういう面倒なこと抜きで観ても面白い作品ですので・・・まだ観ていない方はぜひ一度。