今回は呆れるような便乗タイトルのせいでB級感プンプンの『映画/クワイエット・ボーイ』でネタバレ含む戯言を。予告編やあらすじ解説でもややB級感が漂っていますが、これがまた意外な方向に曲がる作品でして…。
未鑑賞の方はバカみたいな邦題に騙されず、そして余計な予備知識を入れず、心を無にして鑑賞する事をおすすめします。ただし若干、観る人を選びますけど。
クワイエット・ボーイ
2015年 イタリア
キャスト:
フィリッポ・ニグロ
カミッラ・フィリッピ
テオ・アキーレ・カプリオ
監督:ステファノ・ドロヴィッチ
脚本:イザベラ・アギラー、ステファノ・ロドヴィッチ
ネタバレ無しのあらすじ
「悪い子いねがー」のノリで開催される、ヨーロッパ版なまはげとも言えるクランプス祭の夜。
大人たちが仮装した悪魔に怯えたトンミは父親の元に駆け寄るが、酔った勢いで邪険に扱われてしまう。
そしてトンミは、そのまま行方知れずに…。
・・・それから5年後。
息子を失った両親のもとに「トンミが発見された」との報が入る。
5年ぶりの再会を喜ぶ父・マヌエル(フィリッポ・ニグロ)と母・リンダ(カミッラ・フィリッピ)だったが、息子の様子が何かおかしい。
本当に私達の息子なの??
…といった流れでホラー方向に誘導しつつも、終盤に思いっきりひっくり返す作品。
原題と邦題で戯言
名の売れた作品が1本出ると、いざ続けとばかりに「それっぽいタイトル」の作品が続出してくるのは映画界のお約束。
特に日本はその風潮が強く、原題や内容なんておかまいなしで、まるで無関係な作品に「どこかで聞いたようなタイトル」をつけまくる。最近では「ドント・○○○」の連発にうんざりした方も多いかと思いますが、20年ほど前にも宇宙モノは全て「なんちゃらアルマゲドン」「アルマゲドン・○○○」ってなタイトルにされていた時代があったものです。
…というわけで本作の話。
原題『IN FONDO AL BOSCO』はイタリア語で「森の底」といった意味。アメリカ版のタイトルは『Deep in the Wood』で「森の奥深く」ですので、ほぼ原題をそのまま英語にしただけ。ところが日本版は…『クワイエット・ボーイ』(泣)
某スリラー映画『クワイエット・○○○○』に便乗してのタイトルなのは一目瞭然ですが、これがまた無理やりのこじつけ。
たしかに序盤、少年が何も語らない…という展開が一時的にあるものの、「黙っている」という部分は物語のカギではありませんし、その後は普通にペラペラ喋りますから(笑)それなのに予告編までそっち方向で煽るという詐欺仕様。
そしてさらに『この子供…何かおかしい』という『映画/エスター』に便乗の煽りも追加。
ハリウッド作ではなく、日本で有名な俳優も出演していない。そんな無名作品を国内で宣伝・販売する苦労は察しますが、頭にクソが詰まっているかのような低レベルな邦題と広告展開はどうかと思いますなぁ…。
ここからネタバレを含むよ!!
ネタバレ解説
序盤~中盤に少々ダルい展開はあるものの、後半に一気に巻き返してくるこのクワイエット・ボーイという作品。
最近の映画らしく、
どんでん返しは2段式。
ミスリード→種明かし→さらに驚愕の展開…という、ドンデン返し好きにはたまらない構成となっております。しかし残念なことに種明かしは『ぜーんぶ回想の映像で見せる』という古臭い手法。
想像力に乏しく、バカでもわかるような親切すぎる説明が欲しい人にゃ良いかもしれませんが、せっかく緻密に練られたプロット(ツッコミどころは多々あるものの)なのに、1から10まで単純な映像解説にしてしまったのは惜しい気も。
ここまで露骨にネタバレされて内容を理解できなかった人は少ないと思いますが、若干時系列があっちこっちするので・・・ネタバレを含んだ事の顛末をフローでご説明してみます。
- クランプス祭
- 「子供に罰を与える」という悪魔、クランプスに仮装しての祭。
トンミは悪魔の姿におびえて父の元へ行くも、邪険に扱われて森へと迷い込む。
この時、母リンダは自宅で警官ハンネスと不倫中。「睡眠薬を飲んだから眠る」というセリフは後の伏線。
- 森の小屋でエロエロ祭
- トンミのシッターでもあるエルゼ(翻訳によってエルスと表記されている場合も)は、フラビオ、ディミトリ(この時点ですでにバーで働いていたかは不明)と共に森の小屋でエロエロ祭を開催。
「ロープで浮きながら舐めさせる」というなんじゃそりゃプレイで楽しんでいるところへトンミが入ってくる。
走り去ってしまったトンミをディミトリが追いかけるが、捕まえる際に誤って突き飛ばしてしまう。
ここでトンミは意識を失い、ディミトリはトンミが死んだと思い込んで逃げ去る。
- トンミ自宅へ帰る
- ・・・が、トンミは意識を取り戻し、自力で自宅へと帰ったのでした。
ベッドの母親に甘えるも、母リンダは睡眠薬を飲んだためにトンミの相手ができない。
トンミを強く抱きしめ、寝かしつけたつもりだったが・・・・これが原因でトンミは死亡(おそらく窒息死)
帰宅した祖父が異変に気づくも、リンダはトンミが眠っていると思い込んでいる様子。彼女に負担をかけないため、祖父は黙ってトンミを森へと運ぶ。
勘違いしている方がいますが、決してリンダは薬や精神的な理由でトンミを殺したことを忘れていたわけではありません。
祖父が森にトンミを遺棄した直後、父マヌエルが捜索のために森の中へ。
見つかったらいかんと思った祖父はマヌエルに駆け寄り、「おまえはあっちな。俺こっちな」と小細工。さらに「いなくなったのはおまえのせいだ」と責任転嫁の発言まで。
おそらく以前から酒浸りの娘婿のことを快く思っていなかったのでしょう。
- トンミは穴へ
- 小屋へと戻ったディミトリは「トンミを誤って殺してしまった」と、二人(フラビオ、エルゼ)に告げる。
(この時、トンミはすでに息を吹き返して自宅へと戻り、その後母に殺害され、祖父により森へと遺棄されている)
遺体を隠そうと考えた三人は森へと戻り、トンミを探す。
(後ほど「なかなか見つからなかった」と言っているのは、前述の理由のため。おそらくトンミの位置も変わっている)
トンミの遺体を見つけ、森の穴へと隠す。
(ディミトリは「トンミは自分が殺した」と思いこんだまま。二人はその罪を隠蔽したと思っている)
- 遺体がなくなる
- なんとかトンミの遺体をマヌエルに見つからずにすんだ…と思った祖父だが、戻ってみるとトンミがいない(驚)
それもそのはず、トンミの遺体は若者三人が持ち去って穴へと隠してしまったのだから。
これにより祖父は「トンミは死亡し、そして消えた」と思っている。
- 偽トンミに対するそれぞれの反応
- そして5年後。
精神的に病んでいるリンダを想い、ハンネスがDNA鑑定に小細工。
全く別人の子供を「トンミ」としてマヌエル、リンダの元へと送り届けるところから本編の始まり。
主要人物のそれぞれが「トンミの失踪事件の真相」に関して異なる見解を持っているため、
父・消えた息子が戻ってきた。
母・消えた息子が戻ってきた。(しかしトンミではないと気づく)
祖父・5年前に遺体が消えているので複雑な心境。もしかしたら生きていた!?いやいやそんなバカな、悪魔に違いない!
若者三人・殺して遺棄したのだから、絶対にトンミではない。悪魔か!?亡霊か!?
…と、それぞれ異なる。これが絶妙なミスリードを生みつつ、物語は進む…。
…ということになります。
やや強引であったり都合が良すぎる部分はるものの、あくまでも映画と考えれば許容範囲内かと。
個人的な戯言感想
『悪魔モノのオカルト・ホラー』と思わせておきながら、実は『リアル系サスペンス・スリラー』だったという展開も驚きですが、そもそもこの「悪魔」という要素自体、単なるミスリードで終わっていないところが素晴らしい。
作中、祖父を始めとした大人たちは偽トンミを「悪魔」と呼びます。たしかに彼は悪魔的な行動(犬を殺す・ガラス片を食べさせる)もありましたが、鑑賞を終えてみればむしろ「醜く身勝手な大人たち」こそ悪魔と言えるでしょう。
最終的に「生き場所を失った二人(マヌエルと偽トンミ)が共に生きていく」という結末も、なんとも複雑な思いと若干のツッコミはありますが決して悪くはありません。
「行方不明の子供が見つかる。…が実は別人だった!」という映画は何本かありますが、これまた他の作品とは一線を画す設定と展開で面白いのではないかと。万人にオススメできる映画ではありませんが、コアなサスペンス・スリラー系好きならば押さえておいて損のない1本ではないでしょうか。ちなみにおっぱいは1個も出てきませんよ。