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クリスチャン・ベール主演の怪作『映画/アメリカン・サイコ』でネタバレを含む戯言を…と言いたいところですが、そんなことよりも本作の吹き替えはどうにかならんのですかね。

ただでさえ字幕で見ないと印象が変わってしまうというのに、Amazon Primeでの本作の吹き替えはもはや『放送事故』レベルではないかと・・・。

アメリカン・サイコ


2000年 アメリカ

キャスト:
クリスチャン・ベール
ウィレム・デフォー
ジャレッド・レト
ジョシュ・ルーカス
サマンサ・マシス
マット・ロス
ジャスティン・セロー
クロエ・セヴィニー
リース・ウィザースプーン
グィネヴィア・ターナー

監督:メアリー・ハロン
脚本:メアリー・ハロン、グィネヴィア・ターナー

原作はブレット・イーストン・エリスの小説『アメリカン・サイコ』

ネタバレ無しのあらすじ

ウォール街の大企業で働くパトリック・べイトマン(クリスチャン・ベール)は、ルックスにも仕事の才能にも恵まれた富裕層。

一見何不自由ない暮らしを送っているかのように見えるべイトマンだが、彼には理由なき殺人欲求を抑えられないという悩みがあった。

…という流れでやたらと生尻を披露するクリスチャン・ベールが、全裸でチェーンソーを振り回す怪作。

キャストで戯言

20年以上前の作品ながら、現在も最前線で活躍する有名俳優が多数出演している本作。

主演のクリスチャン・ベールは代表作が多すぎてもはや説明不要ですな。

『映画/マシニスト』の鬼気迫る演技に心を掴まれた方もいれば、『映画/バットマン』シリーズで好きになった方もいることでしょう。もしくは『映画/リベリオン』で披露した”ガンカタ”という名のタコ踊りに惹かれた方もいるかと。

さらに『映画/スーサイド・スクワッド』のジョーカー役で賛否両論を巻き起こしたジャレッド・レトや、これまた出演作多数の名俳優ウィレム・デフォージョシュ・ルーカス

女性陣はやや知名度が落ちますが、婚約者役のリース・ウィザースプーンや浮気相手役のサマンサ・マシス、秘書役のクロエ・セヴィニーもそれなりに映画出演の多い女優さんです。

これだけの数の名俳優、本当であれば彼らの演技力の高さだけで十分見ごたえのある作品なのですが・・・・それは事項で…。

吹き替えに注意!

とにかくこの映画最大のインパクトは、俳優の演技や映画の内容を全てぶち壊す勢いの…

素人レベルのヒドい吹き替え

に尽きるかと。

メディアによってはマトモな吹き替えがあるのかもしれませんが、Amazon Primeでは字幕版が存在しないため吹き替えでの鑑賞を強要されることに。

しかもどうでも良いモブキャラならばまだしも、男も女もあいつもこいつも登場人物全員が棒読み。なんと主人公であるクリスチャン・ベールまで中学生が吹き替えたかのようなクソっぷりで、映画の内容がまるで入ってこないほど。

これが字幕であればクリスチャン・ベールの軽快な喋りや狂気の叫びも物語へ引き込む要因となっただろうに…。

わたしゃ昔から『絶対に字幕。吹き替えならば見る価値無し』という主義なのですが、今回だけは特別と俳優見たさで頑張ってみたものの・・・やっぱり後悔だらけの鑑賞となりました。

もう今後は、たとえ大好きな女優がおっぱいを出していようと生尻を披露していようと、吹き替えでは絶対に見ないぞ!!

現実と虚構が入り混じる

本作は公開後から解釈に関して議論が巻き起こっており、10人いれば10通りの解釈があるような作品。

監督であるメアリー・ハロン自身が物語の解釈に関して『真相は鑑賞者に委ねる。ただし、全てが夢であるという解釈は不本意だ』といった旨を公言しており、『明確な答え』が存在しないことを示唆しています。

映画好きには自分と異なる解釈を目にすると「〇〇〇とか言っている人がいますが、間違いです」などとムキになって否定したがるお子様がたまにいますが、少なくともこの映画に関してそういう事を言うのは野暮…ということですな。

しかし本作は『現実』『虚構』が入り混じって描かれており、さらに『人種差別』『階級差別』『性差別』のネタにまで手を広げ、最終的に『アメリカという国の在り方』まで痛烈な皮肉で表現しているため、とにかくわかりづらい。

1つ1つ考察していったら夜が明けてしまいますが、それらに言及しないと肝心の『パトリック・べイトマンという男は存在したのか?』『彼は本当に殺人を犯していたのか?』も説明できないという・・・映画ブログ泣かせな作品でございます。

いえ、思慮深くて文章力のある方ならば問題ないのでしょうが、なにせわたしゃ単なる尻フェチの変人映画マニアなもので…。

個人的な解釈

…というわけで感想を述べるのも難しいのですが、さすがになにも言わずに誤魔化すのはマズいので・・・小難しい部分を抜きにしてざっくりと個人的な考察を。

そもそもこの『アメリカン・サイコ』という映画が描いている世界は

『現実世界の概念で捉えてはいけない、比喩や暗喩を具現化した世界』
(ただし、決して『全て幻想』『全てが夢』というオチではない)

と解釈しています。

主人公の男だけに限らず人物の名前が安定しないのは、”個”という概念が希薄になっていることの表現。

同じような名刺で勝った負けたとムキになり、殺意まで抱くのは”競争社会の愚かさ”への皮肉。

無残な死体が転がっていたはずの家が真っ白に塗り替えられ、何事もなかったかのように振る舞われるのは”現代社会”、さらに言えば”アメリカという国の在り方”の暗喩(アメリカという国は原住民の虐殺の上に成り立っており、その事実をなかったかのように白く(白人で)塗り替えている)。

そういった比喩や暗喩をそのまま映像として表現した末に出来上がった世界。いわば風刺画ようなものではないかと。

『アメリカン・サイコ』というタイトルは、サイコ野郎のアメリカ人の話であると同時に、アメリカという国そのものがサイコ(狂気)であるというメッセージも孕んでいたりするのでは…なんて思ったり。

超個人的な戯言感想

うーむ。

本当ならば『いつもの4人で卓を囲んでいるシーンは、パトリック・べイトマンという男1人の多面性を表現しているのでは?』なども考えたのですが、なにせ…

ひでぇ吹き替えのせいで脳がヤラれた状態

での鑑賞でしたから。

映画の内容よりも何よりも、果たして吹き替え派の方がこれをどう思うのか、これでもまだ『字幕よりはマシ』と感じるのか・・・そっちのほうが興味深いですなぁ。