注)当記事は『映画/ドッグヴィル』のネタバレ・あらすじ・感想を含んだうえで戯言も含みます。未鑑賞な方と生真面目な方はご注意下さい。
今回の1本は…奇才を通り越してもはや狂人、ラース・フォン・トリアー監督作品『映画/ドッグヴィル』です。
鑑賞開始3分で「ん?んんんっ!?」と異質感を感じる事のできる映画ですが、もちろん物語と結末もアレな仕上がり。観る者によって激しく評価と考察が分かれそうな作品です。
なおタイトルに「不快」という言葉を用いましたが、そう感じる人もいるだろう…というだけで個人的には絶賛ですよ。
ドッグヴィル
2003年 デンマーク
主なキャスト:
ニコール・キッドマン
ポール・ベタニー
ステラン・スカルスガルド
ジェームズ・カーン
シオバン・ファロン
監督:ラース・フォン・トリアー
脚本:ラース・フォン・トリアー
ネタバレ無しのあらすじ
廃鉱山の麓にある小さな町ドッグヴィル。
その人口も少ない寂れた町に、ギャングに追われる美しい女性グレース(ニコール・キッドマン)が逃げ込んでくる。
ドッグヴィルの住人であり作家を夢見るトム(ポール・ベタニー)は、町で彼女を匿うことを提案。
受け入れてもらうため懸命に奉仕するグレースに、徐々に住人達は心を開き始めるのだが…やがて彼らの要求は身勝手なエゴへと変わっていくのだった。
…といった内容を、なんじゃこりゃ!?の舞台で見る作品。
キャストで戯言
主演はニコール・キッドマン。
ややもすると物語の雰囲気から浮いてしまうほどの華やかさを持つ彼女ですが、それもこの作品では大事な演出効果の1つ。
イモ臭く陰気な町に紛れ込んでしまった一輪の美しい花、その美しさは人々を魅了すると同時に嫌悪の対象ともなる。うーむ、素晴らしいキャスティングですな。
独りよがりで面倒くさいトム役はポール・ベタニー。ルックスは特にカッコ良いというわけではありませんが、魅せる演技ができる名俳優でもあります。
そして今回の「個人的ツボ俳優」はステラン・スカルスガルド。果樹園を営み、お尻丸出しでハァハァするチャック役です。
この人が起用されているだけで「絶対にコイツなんかやらかすぞっ!」と身構えてしまいますなぁ。彼がただの住人役を演じるわけがない。
ちなみに正しい発音は「ステッラン・スカーシュゴード」に近い発音だそうな。うーむ言いづらい。
平面に白線
とにかくこの映画の最大の特徴とも言えるのが舞台セット。
限られた空間の床に簡素な地図もしくは間取り図のような白線表示。そしてほんの一部の壁や家具類。
開始から終了までの約3時間、このリハーサル舞台のような世界で物語が展開することになります。
あまりにも前衛的すぎる表現に「狙いすぎ」といった意見も見受けられますが、この世界だからこそ物語の残酷さや無情さが際立ち、個人的には大いにアリ。
そしてまるで文学作品のような構成とナレーションも良い。静けさを表現するのに「チーズにフタをしたような~」って…。そんな言い回しを聞いたのは人生初ですな。
小説的な回りくどい表現が嫌いな方にはなんじゃそりゃ!となりそうですが、そっち系が好きな人間としてはたまらんですぞ。

ここからネタバレを含むよ!!
他人は自分を映す鏡
4章まではほっこりする場面も多々あり…「ああ、文学的で心地よい映画だなぁ…」などと浸る事も可能なんですよ。グレース良かったね…と。
しかし5章からは一気に不条理展開に急降下。『匿うリスクが増したから、そのぶん住人への奉仕を増やすんだ。ただし賃金は下げる』というトムの提案に「なるほどごもっとも」と感じる事ができる人は少ないでしょう。むしろ「何を言ってるんだこの童貞野郎は?」てなもんです。。
ところが気持ち悪いくらいに善人であろうとするグレースちゃんったら、そんな条件を飲んだうえでまだトムを信頼するのよ…。
そこからはもうフォントリアー監督が全力で放つ悪意ある展開が大暴走。これでもかと見せつけてくる『人間の醜さ』はトラウマ級です。
ただね…鑑賞していて気付くんですよ。
「あ、自分の中にもこういう醜い部分あるよな…」と。
彼らはそれをあからさまに出してきているだけで、多かれ少なかれ似たような性質が自分の中にも潜んでいる事を実感させられるわけです。住人に対する怒りや不快感と同時に、自分の中にある醜い部分に対する羞恥や嫌悪も沸き上がってくるという。
ああ、なんて汚い人間なんだ私は。穴があったら挿れたい、…違った、入りたいっ。…という気分になりましたよ、ホント。
スカッとしてはいけない
そして話題集中の最終場面。
グレースとその父親のやりとりにはイロイロと思うところがあったのですが、今回そこを深く言及する事は避けます。この「人の傲慢さ」という事柄に関して私は非常に強い信念と持論を持っていますので、平等な視点で意見を述べる事ができませんから…。
とうわけでそれは置いといて、その後の展開の話。
「ものども殺っておしまいっ!」というグレースの決断により、皆殺しにされるドッグヴィルの住人達。
果たして彼らがグレースに対してやってきた行為は死に値するのか…。罪に対しての罰の重さは一概に決められるものではありませんので、「やりすぎ!」と感じる方もいれば「死んで当然!」と感じる方もいるでしょう。
しかしここでスカッと爽快になるのは危険。監督の「へー、それで正義なんだ?」とニヤニヤする顔が目に浮かびます。ホント、悪意ある寓話が大好きなんですよね、この監督は。新手のド変態ですな。
正しいとは…
トムは自らの弱さと小狡さを『愛』という言葉でごまかし、『道徳』という言葉で町全体からグレースへの行為を正当化。チャックは『敬意』という言葉でグレースの身体を求め、ベンも『正当な報酬』として同じくグレースの身体を奪う。
ドッグヴィルの誰もが、至極真っ当であるかのような言葉を使って自らの醜い行為を正当化しようとする。
コレって、遥か昔から人間が繰り返し続けている歴史そのものじゃないですか。
『神』の名のもとに大量殺戮を行い、『正義』の名のもとに爆弾を投下する。『発展』という名目で森林を伐採し、『しつけ』だと言いながら子供を虐待する…。
いったい「正しい」とはなんなのか…。そんな事を考えさせられる映画でしたな。
…と、真面目な話は尻がかゆくなるのでこのくらいで。
どいつもこいつもアレなドッグヴィルの住人達でしたが、誰がヤバいってジェイソンが一番でしょう。
あの年齢(10歳くらい)にして、『美人にお尻をぶたれたい』という歪んだ欲求に対する執念はヤバい。軽く叩かれただけでは満足できず、もっと強く!痛くぶって!という…ドM街道まっしぐらの性癖はまさに未完の大器。どうせならグレースが折檻して殺してあげればよかったのに。
『痛いっ!苦しいっ!…でもなんだこれ…気持ちイイイイッ!!』と、至福の表情で死ねたかもしれませんよ、あいつ。