【当ページには広告が含まれています】

昔から子供が主役の映画は大の苦手なクセに『映画/ヒューゴの不思議な発明』を選ぶという。一応ベン・キングズレーとジュード・ロウが目当てだったものの、残念ながらジュード・ロウは短時間しか出てきませんでした・・。

そしてなにかと人気のクロエ・グレース・モレッツも出演していますが、私としては彼女は『映画/キックアス』が絶頂期。キックアス2ですでに怪しい雰囲気を放ち始め、その後は・・・(以下自粛)

ヒューゴの不思議な発明
(原題:Hugo)


2011年 アメリカ

主なキャスト:

エイサ・バターフィールド
ベン・キングズレー
クロエ・グレース・モレッツ
サシャ・バロン・コーエン
レイ・ウィンストン
エミリー・モーティマー
ヘレン・マックロリー
クリストファー・リー
ジュード・ロウ

監督:マーティン・スコセッシ
脚本:ジョン・ローガン

原作はブライアン・セルズニックの小説「ユゴーの不思議な発明」

ネタバレ無しのあらすじ

1930年代のパリ。

ヒューゴ(エイサ・バターフィールド)は父が遺した壊れた機械人形と共に、駅の時計台の中で暮らしていた。

どうにか機械人形を修理しようと苦闘していたヒューゴは、駅構内にある玩具店から部品を盗もうとするも、店主であるパパ・ジョルジュ(ベン・キングズレー)に見つかり修理のための大事な手帳を取り上げられてしまう。

どうにかして手帳を取り戻そうとするうち、ヒューゴはジョルジュ夫妻の養女イザベル(クロエ・グレース・モレツ)と知り合って仲良くなっていく。

共に機械人形を復活させようとする二人だが、そこには驚愕の事実が秘められていた・・・

・・・といったノリで子供が苦手なわしには苦行の作品。

キャストで戯言

冒頭でも書きましたが、ジュード・ロウ・・・なんなのこの出番の短さは。

もはや彼を使わなくても良かったんじゃないかとすら思えるチョイ役っぷり。最後の最後に回想とかで出るかなーと思ったものの、一切出ませんでした(笑)おいおい。

とりあえず彼以外にもベン・キングズレーヘレン・マックロリーエミリー・モーティマーなど、好物な俳優が多数出演しているのがせめてもの救い。

しかしこれ書いていいんかな。あくまでも個人の感想ですよ?

主演の少年エイサ・バターフィールド、どう思います?え、可愛い!?まじで!?いやーあんたとは友達になれんわー。

わたしゃまっっったく可愛いと思えませんもの。

可愛げが無いとか、表情がムカつくとか、そういう深堀り系の話ではなく。単純に顔が可愛くない。

許せないほどではないので我慢しましたが、けっこうギリギリなツラでしたなぁ。

あ、クロエ・グレース・モレッに関しては書きません。めったなことを書くと危ないので。

世では絶賛…しかし…

個人的には全くアテにならない米国大手映画批評サイトRotten tomatoesでの評価は・・・なんと95%。10点満点中、8.4点という稀に見る高評価ときましたか。

うーむ・・・これ、ジョルジュ・メリエスが影響していません?

映画通を気取っている人間としたら『特撮映画の父』とまで呼ばれるジョルジュ・メリエスのフィルムが流れ、彼の人生を描いている作品を「クソ呼ばわり」はできませんよな。

ホントはよくわからんクセにピカソの絵を見て「素晴らしい」とか言っているような・・・そんな匂いを感じるのですよ。

古典的な芸術に関するものって『みんなから賞賛されている作品はとりあえず褒めとけ』みたいな風潮ってあるじゃないですか。そういうものを貶したり、評価しないでいると「芸術がわからない人間」と見下されるので、プライドが高い人間ほどわかったフリをする…的な。

こういった映画批評系サイトでも、評価が非常に高い作品に関してミソクソに書くと強烈に批判されますし。

いいじゃないか!感性は人それぞれなのだから!…と、いつも思うのですよ。「ピカソ?あんなもん幼稚園児レベルのヘタクソな絵だろう!」と言ったれ言ったれ!と。
(真面目な話をすれば、ピカソはアレな絵で有名なものの普通に描いても素晴らしい芸術家です)

という事で・・・この『映画/ヒューゴの不思議な発明』も、なぜそこまで絶賛されるのかがわかりませんでした。

クソとまでは言いませんが、個人的にはつまらない映画の括りなのですよ。


あまりにもアレレな展開

なにがダメって、とにかく適当というか雰囲気重視で細部がおざなりというか・・・。

あれほど序盤のカギとなっていた『手帳』も途中からブン投げっぱなしですし。

手帳をパパ・ジョルジュに取り上げられ「返して欲しければ店を手伝え」という流れになっていたはずなのに、その後ヒューゴは店を手伝いながら同時進行で機械人形をどんどん修理。

あれ?修理するのにあの手帳が必要だったんじゃ・・・。

もしかしてアレかね?手伝いを始めて早々に返してもらったのかね。それにしてはその描写がなかったし・・・。というか手帳の件は店の手伝いをめて以降は一切出てこないのだけど…。

ついでにハートのカギが線路に落ちている(という夢)のシーンで、地面に刺さっていたはずのカギがなぜか線路に降りた時には枕木の上に置いてあるというのもアレレ感。

ついでに『鉄道公安官に追われたヒューゴが時計台の針にぶら下がる』の見せ場もあまりにもヒドい。

針にぶら下がり、少しづつ先のほうへ移動していくヒューゴ、あぶないっ!あぶないっ!と、観ているこっちもハラハラドキドキするシーンでもありますが、針を伝っていった彼がどうするかと思ったら・・・普通に下(時計の盤面フチ)に降りただけ。

「針の先っちょのほうにぶら下がる事でやりすごした」のかと思いきや、結局は窓のすぐ下の位置でしゃがんで鉄道公安官をやり過ごしています。そしてモゾモゾとまた窓から戻っていく…。

おいおい!あんなに必死に針を伝った意味は!?

あれなら最初から窓の下のフチにすとんと降りれば済んだ話では。。。

とりあえず盛り上がるシーンをぶっ込んでおきながら、その中身はスッカスカという・・・ただ見た目重視なだけのシーンにしか感じられませんでしたなぁ。パッケージにまで使われているシーンなのに…。

ヒューゴの発明でもなんでもない

機械人形の修理を終え、ハートのカギも手に入り、さぁいったいこの機械人形はなんぞや・・・と思いきや、描いたのは月にロケットが刺さっている絵。

最初は字っぽくバラバラに書いておいて・・・しばらく止まった後に一気に描き上げるというのも不自然すぎますが…まず第一にあの人形が万年筆で絵を描く時点でアレですので許しましょう。

そしてそこから物語は急ハンドルを切り、映画の話に。

最初はてっきり時計台とか発明とかそういう物語なのだと思ってみれば、そんなことは全然関係無し。いちおう「ヒューゴとイザベルが二人で映画を見に行く」「ヒューゴパパが観たという映画の話(月にロケットが刺さる映画)」という含みはありましたが、伏線と呼べるようなものでもありません。

『発明』に関しても、パパ・ジョルジュ(ジョルジュ・メリエス)が、映画の特撮技法を発明した・・・という点ではたしかに発明なのですが…決して「ヒューゴの」不思議な発明でもなく。

ヒューゴは最初から最後まで何も『発明』はしていませんので、もはやこの映画のタイトルは『パパ・ジョルジュの不思議な発明』でも良かった気がしません?

ちなみに後半に話の流れを全て攫って行くパパ・ジョルジュことジョルジュ・メリエス。

この方は前述しましたが『特撮映画の父』と呼ばれていた実在の人物で、作品中に描かれる彼の人生も実在のジョルジュ・メリエスと共通する部分が多数あります。

超個人的な戯言感想

というわけで。

『映画/ヒューゴの不思議な発明』は3D作品という事もあり、それを意識した演出やカメラワークがこれでもかと使用されています。

ダメとは言わないんですが、3Dありきの作り方ってどうかと思うんですよね…。「はいはい、飛び出させるための演出ね…」というシーンを多用されるとちょっぴり萎えてきますな。

大好きだった『映画/ソウ』シリーズも、『ソウ3D』が出ると聞いた時は観る前に萎えましたし。

そんなこんなで、ものすごい絶賛を受けている『ヒューゴの不思議な発明』

ぶっちゃけ個人的な感想は…

雰囲気重視、演出も寒い、途中からパパ・ジョルジュの話に変わって、着地もジョルジュ。

という、なんとも微妙な作品でした。