映画『アサイラム/監禁病棟と顔のない患者たち』ネタバレ&感想

これまた余計なサブタイトルを付けられてしまった「映画/アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」

さんざん「映画邦題の付け方はセンスが無い」と言われているにもかかわらず、次々と送り出されてくるがっかりタイトルの映画達。せっかく面白い映画も、タイトルのせいでイメージダウンだったりネタバレだったり・・・もういい加減にしようよ。

アサイラム/監禁病棟と顔のない患者たち
(原題:Stonehearst Asylum)

2014年 アメリカ

主なキャスト:

ジム・スタージェス
ケイト・ベッキンセイル
ベン・キングズレー
マイケル・ケイン
デヴィッド・シューリス
ギヨーム・ドローネー

監督:ブラッド・アンダーソン
脚本:ジョー・ガンジェミ

原作はエドガー・アラン・ポーが1845年に発表した短編小説「タール博士とフェザー教授の療法」

ネタバレ無しのあらすじ

1899年イギリス。オックスフォード大の学生エドワード(ジム・スタージェス)は精神科医としての実地経験を積むべく、辺境の地にあるストーンハースト精神病院を訪れる。

この病院では院長のサイラス医師(ベン・キングズレー)の独自の方針のもと、患者と医師が同じ空間でくつろぎ、食事をし、投薬もされずに自由に生活を送っていた。

独特とも言える環境の中、エドワードは入院患者の一人でもあるイライザ(ケイト・ベッキンセイル)に心奪われる。

どうにか彼女との距離を縮めようするエドワード。イライザも他の医者とは違う雰囲気を持つ彼に好印象を覚えるが、エドワードに対し「今すぐこの病院から逃げて」と告げるのだった。

いったいなぜ彼女はそんな事を言うのだろうか…戸惑うエドワードは、この病院に隠された驚愕の事実を知る事となる・・・

・・・といった内容の作品。

ヒステリー

精神科病院という事でさまざまな症状の患者が出てきますが、冒頭に登場し、その後もヒロインとして存在感を魅せるイライザが抱える「ヒステリー」という病。

現在でも使用される言葉ですが、歴史的な経緯を知らない方からすれば「ヒステリーって・・・病気か?」と思ってしまう事でしょう。

詳しい説明はここでは省きますが、19世紀以前は「病気」として位置づけられており、その治療法も現在では驚きのものばかりでした。

「ヒステリーは病気だった!?」に興味はあるけど、重っ苦しいのが苦手な人は…この映画で笑いながら学ぼう!!ついでにアダルトグッズの歴史も学べるぞ!(笑)

評価はぼちぼち

アメリカ大手批評サイトRotten Tomatoesでの支持率は54%。平均点は5.5点(10点満点)。

日本での評価も「悪くはないが良くもない」という意見が目立ち、概ね60点くらいの評判。

絶賛する人もいなければ、ミソクソに批判する人もいない・・という、小さくまとまった評価で落ち着いている「映画/アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち」です。

しかし私個人の評価としては・・・かなり高いんですよね、この映画。ちょっとベタベタな展開やセリフが気にもなりますが、最後の最後に「そうきたかっ!!」という返しが用意してあった点と、そこに至る伏線が秀逸だったので・・・80点以上をつけたい気分です。


ここからネタバレを含むよ!!

どれを信じて良いのやら・・

映画冒頭の、イライザを被験体として行われた講義の最後に語られる、

「聞いた事は信じるな。見たものは半分だけ信じろ」

という言葉。

これが最後の最後まで重要なキーワードとなってきます。

精神患者たちは誰もが「自分は正常である」と主張する。犯罪者が「自分は無実だ」と主張するのと同じだ、とも。

まさにそうだな・・・と思います。

世の中にはすぐに「私は鬱だからー」とか「PTSDだからー」とか周囲にアピールする人がいますが、そういう人は物事の言い訳にしているだけだったり、他人から特別だと思われたいだけの場合が多いんですよね・・・。本当に深刻に病んで悩んでいる人は、そんなふうに周囲にひけらかしたりしません。

それがあるゆえに、この映画も悩まされるのです・・。

ソルト医師

わりと早い段階で発見される「地下室に幽閉されたソルト医師たち」ですが、最初はやはり「自分が本当の院長・・・だと思い込んでいる異常者なのではないか?」と思ってしまいます。

なにせあの傲慢さですから。最初にエドワードに会った際も、横柄極まりない。

本当はこっちが患者で、あまりにも妄想がひどいために地下室に入れられたのでは・・・・と。

そこのモヤモヤはあまり長く引っ張られる事なく、明らかに「サイラス医師のほうが偽物。ソルト医師はやっぱり本物」という展開で話は進んでくれるのですが、それでもやはり「半分しか信じてはいけない」わけですから・・・どこでひっくり返されるか、気が気でない(笑)

下手すりゃ「サイラス医師は元患者で偽物。しかしソルト医師のほうも、同じく元患者で偽物。本物の医師はすでにいない」なんて結末もあり得ます。

「嘘をついている」ではなく「本当にそう思っている」ってトコが厄介なんですよね。。。

善と悪

この映画は作品全体を通して「善と悪」という概念についての問いかけを感じます。

回想シーン内でソルト医師が患者たちに施す治療方法は、現代の感覚では決して「好ましい」とは思えない方法ばかり。しかし当時の精神科医学ではそれが「患者を救う方法である」と信じられていたのも事実です。

サイラスが軍医時代の事を思い出すシーンでも、救護テント内で次々に兵士を射殺していく彼の行動は、目の前の惨状に耐えられず「苦しみから救ってやりたい」という気持ちが爆発してしまったからでもあります。

自分を馬だと思っている老人に対し「グルーミングをしてあげる」というのは、一方から見れば「病気を悪化させる(自分は馬であるという思い込みを増長させる)、間違った対処」と見えますが、本人にとっては幸せであるとも言えます。

結局のところ、「善」も「悪」も立ち位置や価値観によって大きく変わるんですよね。理由付けしようと思えば、どんな事柄に対してでも「肯定・否定」両方の意見を述べる事は可能ですし。

そういえば「映画/プラトーン」で誰かが言っていましたね。「言い訳ってのはケツの穴と一緒。誰にでも1つはあるもんだ」と(笑)

ちょっと話がズレますが・・・私も常々感じている事ですが「私の意見が絶対正しい」と信じて疑わないタイプの人間って、それ以上話が進まないんですよね。何を言っても「それは〇〇だから、間違っている」「いや、それは〇〇〇で説明できる」とか・・・。

なにかにつけてすぐに「論破」とか言いたがる屁理屈人間が多い世の中ですから、まぁ仕方ないのですが・・。

こういう映画を見ると「正しいってなんなのだろう」と、改めて考えさせられます。

最も「信じてはいけない人間」は・・

最大のネタバレ要素となりますが、エドワードは医師ではありませんでした。いやー、ここは驚いた。なにせ二段階で来るじゃないですか。

まずは処置台に縛り付けられたエドワードがイライザに「あの講義でキミを見たんだ」と。これ、普通に「講義を受けていた学生」だと思いますよね。

ところがさらにもう一段返してきて「その後に運び込まれてきた患者だった」とは・・。

ちゃんと冒頭のシーンでも、顔は見えませんが「次の患者」として連れてこられています。そしてイライザがじっとそちらを見る描写まで。

くそー、やられた。まんまと騙されました。

サイラス医師とソルト医師のほうにばかり気がいっていて、まさかエドワードが「信じてはいけない」だったとは・・・。

たしかに「なんか変なヤツだなー」ってところは多々あったんですよね。鏡の前で何度も会話の練習をしてみたりとか・・・。これって、他の映画でも「ちょっとイッちゃってる人」がよくやる行動として描かれる事が多いじゃないですか。

イライザに対してもちょっと異常な執着心だとは思いましたが、ギリギリで「怪しい」とまではいきませんでした。

ラストの「僕は正常じゃない。君に狂っている」といった旨のセリフに「くっさ!そんなくさいセリフを言える事自体、正常じゃないよ!」とツッコミたくなりましたが、ホントに正常じゃなかったんですね(笑)

他人として生きる

これ、よくありますよね。有名どころだと「映画/テイキングライブス」とか映画/パーフェクト・ゲッタウェイとか・・・。

果たしてそんな事可能なのか?と思ってしまいますが、戸籍や情報網が未発達だった時代なら十分にあり得たのかもしれません。

日本の歴史でも「明智光秀」や「明治天皇」など、著名人ですら「入れ替わり説」があります。困窮した武家の人間が名前と身分を売る・・といった行為も実際にあったそうです。

この映画でも、エドワードは最後「ラム医師」となり、遠く異国の地(おそらくイタリア)で精神科医としての地位を築いています。

うーむ。ゆるい時代っていいですね。私も今の立場をリセットして、別人として再スタートしてみたいものです。誰がいいでしょうか・・・。

年下キラーとヒース・レジャー

さきほどの「善と悪」の話にもつながりますが、エドワードがやっている事は見方によっては正しいとは言えません。身分を偽り、他人の妻を奪い、その後も偽りの医師として生きていく・・・という。

しかしラストシーンにあるのは「幸せそうなイライザと、とても良い環境に見える精神病院」です。

終始「何が正義で何が悪なのやら・・」という気分にさせられる映画でした。もちろん良い意味で、ですよ。

それにしてもケイト・ベッキンセイルは美人ですなぁ。

これで今(2019年現在)は「年下キラー」とか呼ばれているんだから、もうどんな目で見て良いのやら。

そういえばまた「絶対似てない」と言われそうな話なのですが、映画中に出てきた女装している大きな男性(ウィリアム)って・・・ヒース・レジャーにちょっと似ていませんか?

うーむ、私の「似ている」意見って、ことごとく否定されるんですよね。どうしてでしょう・・・。