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ホント参りました。名優ニコラス・ケイジ主演『映画/ヒューマン・ハンター』のネタバレ含む感想なのですが、もう評価とか批評とか以前に…

…くっそつまらないんですもの。

書き出しから大文字使ってダメ出ししたのは『映画で戯言三昧』史上初です。

本作以上につまらない映画はたくさんありますが「ニコラス・ケイジを起用しておいて、この仕上がり」ってトコが非常に罪深い映画です。

ヒューマン・ハンター
(原題:Humanity Bureau)


2018年 カナダ

主なキャスト:

ニコラス・ケイジ
サラ・リンド
ヒュー・ディロン
ジェイコブ・デイヴィーズ

監督:ロブ・キング
脚本:デイヴ・シュルツ

ネタバレ含まないあらすじ

経済破綻やら環境変動やらで大変な事になっている近未来。

政府は国民の管理を『人民省』に一任しており、国家に対する貢献度の低い人間は『ニュー・エデン』と呼ばれるエリアへ送るという政策をとっていた。

人民省のエージェントであるノア・クロス(ニコラス・ケイジ)も、日々国民を審査してはニュー・エデンへ送り込む職務に従事していたのだが、新たにレイチェル(サラ・リンド)とその息子ルーカス(ジェイコブ・デイヴィーズ)の二人を担当している最中、政府が隠しているニュー・エデンの秘密を知ってしまう。

レイチェルとルーカスを逃がすため、クロスは人民省に追われながら共にカナダを目指すのだが…

・・・といった内容の作品。

キャストで戯言

キャストで…とか言われても、まともにアレコレ書けるのはニコラス・ケイジただ一人しかいないじゃないですか。

あとはみんな無名俳優。完全に『目玉商品を1個だけ入れて、あとは売れ残りやらバッタもんで袋だけ大きくしたインチキ福袋』みたいなもんです。

…ごめんなさい、ちょっと他の俳優に対して失礼でした。

いやいや、これで作品が面白ければそんな失礼な事を言う気はないのですが、とにかくヒドいんですもの。

旬を過ぎた大物俳優がこういった使われ方をするのには慣れましたが、あまりにもニコラス・ケイジが不憫でなりません。


ここからネタバレを含むよ!!

2030年!?

国境に壁、国家の足を引っ張る人間は切り捨て、その他アレコレ…と、現代社会を風刺した設定は悪くないんです。作品中に「わしはホワイトハウスに招かれた事もあるんじゃー」と言っていた爺ちゃんの思い出の写真、隣にいる大統領はトラ〇プですし(笑)

しかし『近未来SF』と言っておきながら、えらく中途半端な近未来感が…。

音声でイロイロできちゃう端末は良しとして、クロスが乗る車はかなりの年代物。それなのに『燃料タンクが破損しました』とか通知してくれるなど、変なトコだけハイテク未来カー。ガソリンスタンドの給油機もボロい年代物なのに、なぜか非接触型の読み取りが可能という。

その他も家、風景、小道具、建物、全てにおいて『近未来』を彷彿とさせるような要素は無く、むしろ現代よりも旧世代を感じさせます。

世界が崩壊しているという設定上、あえてこの世界観なのかもしれませんが…どう見ても『予算が足りなくて小道具まで回らなかった』と感じてしまうのは何故でしょう…。

そういえば気になったのですが、予告編では『西暦2030年』となっているんですよ。作品中に明確な年代は出てこなかった気がするのですが、予告編ではドーン!と明言してしまっています。ええ!?今から10年後設定??ちょっと無理があるのでは…

…ん?あれれ?

そういえば作品中に『車はもう30年以上前に生産が終わった』とか言っていたはずなんですが…

なるほど、アレですか。この作品の言うところの『近未来』というのは、我々が生きているこの世界の未来ではなく、全く別の歴史を持つパラレルワールド…という事になりますか。そっちの世界では20世紀のうちに車の生産も終了。すでに荒廃の一途をたどっていた…と。

そういう設定ならば仕方ない。車が古すぎるのも建物が古すぎるのも、全て綿密な設定に基づくものだったのですね。いやー、参りました。参りすぎて涙が出てきました。

「楽園=嘘」の今更感

おそらくこの映画を鑑賞した方100人中108人くらいは早々に予想がついたと思いますが、国会に対して貢献度の低い人間が送り込まれる『ニュー・エデン』は楽園でもなんでもなく、普通に殺処分施設でした。

もう『夢の楽園、ニュー・エデンで新たな暮らしを!』といった売り文句がまんま『映画/アイランド』ですもの。バレバレにもほどがある。『映画/セブン・シスターズ』も同じようなモンでしたし。

ディストピア作品で政府が楽園とアピールし、国民を送り込む場所ってのは大抵が殺処分ですから(笑)

これを早々にネタバレさせちゃったというのは、製作陣も「コレは今更だよなー」という気持ちがあった表れかもしれません。そして邦題の『ヒューマン・ハンター』も、隠す気全く無しのタイトルです。

その代わりに持ってきたどんでん返しが『レイチェルはレイチェルじゃなかった!』という、これまた使い古された驚愕の展開。さらに『ルーカスの父親はクロスだった!』というオマケ付き。

これは悪くない気がします。初めてクロスがレイチェル宅を訪れる際、古い写真(本物レイチェルとルーカス)を眺め、その後に端末でレイチェル親子を確認した時に…ほんのちょっとだけ「あれ?」といった表情で伏線を張ってくれていますし、ルーカスと対面した際にも一瞬だけ「実の子と対面」という複雑な心情を表現してくれています。

ここらへんはさすがニコラス・ケイジといったところ。気付かなかった人でも二回観ると「おおっ」と思える程度の匙加減でやっているところが憎いです。

無茶な展開で無茶に終わる

そんなニコラス・ケイジの名演技をしっかり脚本が活かしてくれれば、けっして『C級映画』などと呼ばれる事もなかったであろうに…残念ながらそっちはお世辞にも名脚本とは言えない仕上がり。

説明的すぎるセリフや寒いセリフが多いうえに、演出もカメラワークもチープ。ご都合主義な展開目白押しのなか、チョイ役のクセに変に存在感の強い登場人物が無駄に多かったり…。

しかし、最後にまさかレイチェル(本当はアマンダ)の頭がブチ抜かれるとは…。ここは良くも悪くも衝撃展開でした。

偽りの母と正体を明かさない父。ルーカスに「俺が父だ」と告げてしまえば、母が他人だった事も明かさなければなりませんし・・・逆にアマンダが母であり続けるならば、クロスは父とは明かす事ができない。

父を得れば母を失い、母を得れば父を失う…という、なんとももどかしい流れは良かったんですけどね。まさか両方殺しちゃうとは。

『ルーカスに父と明かし、アマンダも正直に隣人だと告白。そしてアマンダとルーカスがくっついてめでたく家族になりました』なんていうベタなハッピーエンドに持っていかなかった点は評価したいです。

クロスに釣りを教えた「母の友人」も、もしかしたら「本当の父」だったのかもしれませんな…。

C級です

…というわけで。

悪くない要素もチョイチョイあるのですが、それを補って余りあるチープ感が残念な『映画/ヒューマン・ハンター』

ニコラス・ケイジが主演でありながら、やはりC級映画と思わざるを得ない仕上がりなのではないかと…。

浪費家ゆえに財政難に苦しんでいるという噂のニコラスですので、「仕事を選んでいられない」という事なのでしょうか…。

でも彼、2010年に高さ約3メートルの真っ白なピラミッド型の墓を購入したらしいですよ(汗)