今回はマイナーなタイムスリップ映画『トランスポート』でネタバレを含んだ戯言を。彼女を救うためにタイムリープ!…となると『映画/バタフライ・エフェクト』があまりにも有名ですが、本作はまさに『劣化版・バタフライエフェクト』
しかしこの安っぽさが刺さる人には刺さるらしいですぞ。
トランスポート
2005年 カナダ
キャスト:
ジェイ・バルチェル
サラ・リンド
監督:デヴィッド・レイ
脚本:デヴィッド・レイ
ネタバレ無しのあらすじ
治安のあまりよろしくないダウンタウンで暮らすアート(ジェイ・バルシェル)とコーディ(サラ・リンド)はとても仲の良いカップル。
ところがある日、コーディが突然昏睡状態に。
愛する彼女を救うため、アートは安っぽいタイムマシンで過去へ飛ぶ!!
・・・といった流れのゆるゆるタイムリープ作品。
キャストで戯言
今回こんな古臭くて安っぽい映画を選んだ理由は…
主演がジェイ・バルチェル(昔は”バルシェル”と記載されていた)だから。
ただただ彼が見たいだけ。それだけです。
知っている人は少ないかもしれませんが、喋り方と喋る時の顔にクセが強すぎる兄ちゃんですよ。代表作?えーと・・・『映画/魔法使いの弟子』ではニコラス・ケイジと共演での主演を務めました。
まぁいいじゃないですか。私は異性に対しても同性に対しても好みがちょっとアレですので。
そして恋人役はサラ・リンド。
こっちも知っている人は少ないでしょうなぁ。えーと・・・・『映画/ヒューマン・ハンター』ではニコラス・ケイジと共演しています。おいおい、またニコラス・ケイジかよ。
タイムリープ映画史上、最高レベルの安っぽさ
本作のざっくりした印象を一言で表現すると、まさに
『古臭くて安っぽい』
ですな。
え、二言になってるって?
いやいや。
あの安倍総理もかつて(2006年)、「総理にとって今年の”一文字”は?」というインタビューに「”変化の年”、でしたね」と一文字どころか助詞交じりで答え、記者が困惑しながら「”一文字”にするとすれば?」と再質問したのに対しても「”責任”ですね」と、神妙な面持ちの二文字で答えていますから。
いいんですよ、人の上に立つ人間は細かい数なんて気になくても。愚民には好きなように言わせとけばいいんです。まぁ私は誰の上にも立っていませんけど。
…で話を戻しますか。
映画が始まった瞬間に「古っ!!いつの時代の映画!?」と言いたくなるような荒い画像に、激しく手ブレるカメラワーク。場面切り替え含め演出も全て昭和テイスト。
そして物語のキモとなるタイムマシーンは…
この有様。
主人公アートのおバカっぷりも含め、作品自体がコメディタッチで仕上げられているのは明らかなのですが、映画としての基盤(演出・カメラワーク・音響・表現・etc)が安っぽいというのはいかがなものかと。
「あー。子供の時に観た映画ってこんなだったなー」と懐かしい気分に浸りそうになるも、2005年作品ですよ、コレ。まるで90年代前半のクオリティじゃないですか。
開始早々にドーンと表示される『Cheap and Dirty Productions』(安っぽくて汚い製作所)の文字は自虐でもなんでもなく、自己申告だったというわけですか。おいおい。
緊迫感の無いグダグダ時間旅行
注!)ここからネタバレと結末含む
冒頭にも書きましたが、本作は名作タイムリープ映画と称される『バタフライ・エフェクト』とやっている事(だけ)は同じ。
彼女に起こった悲劇を回避するため、その原因となったであろう時代へと戻り、小細工して歴史を変える。
しかしアレを変えてもコレを変えても上手くいかず・・・という流れですな。あっちはその時代の自分に入りましたが、こっちは第三者として介入するタイプです。どっちにしろツッコミどころはたっぷりですけど。
それにしても序盤、『若かりし頃の彼女に、生理用品を押し付ける』という介入をひたすらしつこく繰り返すのはどうなんでしょう。これ、そんなにひっぱる必要あります?男としては複雑な気分になるんですよ、これ系のネタ。
終盤、最初は不自然に見えた展開に『窓の鍵を開けたのは自分だった』『救急車を呼んだのも自分だった』という回収でつじつまを合わせてみたりと小粋な演出を入れてはくれるものの、これをやってしまったがために他の矛盾が気になってくるのも複雑な気分。
まぁタイムパラドックスに関しては何時間議論しようと決着はつきませんので、そこをいかにうまく『気にならないレベル』に仕上げるかがタイムリープ系映画のキモだったりもしますな。
その点、本作は比較的許せる範囲ではないかと。だって安っぽさのほうが気になるんですもの。
そして結末。
『映画/バタフライ・エフェクト』では『彼女と自分が出会わない運命を選ぶ』という、切ない愛の選択によって悲劇を回避するのですが・・・
本作も同じです
ちなみに『映画/バタフライ・エフェクト』は2004年公開のアメリカ作品。この『映画/トランスポート』は2005年公開のカナダ作品。
公開年が非常に近いですし、そもそも製作と脚本が公開年と同順とは限らないのでなんとも言えませんが・・・とりあえず「パクリか?」と思うのはやめておきましょう。たまたま、同時期に同じアイデアだったんですよ、たぶん。
独自解釈・考察
さてさて。
ここからは個人的な解釈・考察になりますので、賛否両論あるかと思いますが…。
私は『ハーディは未来のアートである』という隠しオチだと解釈しています。
作中でハッキリと表現されてはいませんが、物語の端々にそれを匂わせる要素は多数存在。
まず彼女が悲劇に陥る時期に、都合良くタイムマシンを用意してくる。そしてアートのタイムマシン使用を仕向けるような言動と、しっかり充電までしてくれている段取りの良さ。何度も過去に戻ったアートの支離滅裂な話を受け入れ、導きに近い助言まで。
もう絶対そうだろ、と。てっきり最後に明かされると思ってましたよ。
しかし、本作の最後でコーディを忘れ旅立ったアートの未来の姿…と考えると、それはそれで矛盾点も出てくるのですよ。
ただ、『過去に戻って現在を変える』に関しては様々な解釈があり、中には『過去を変えても現在は変わらない。自分の世界とは別に、歴史の変わった世界が1つ増えるだけ(パラレルワールド方式)』という見解もあるじゃないですか。
本作は窓の鍵や救急車のくだりから『過去に介入する事で現在も変わるタイプ』で表現されてはいるのですが、中にはそれでは矛盾している部分もあります。
もしかしたらハーディは、この映画のアートとはまた別の運命をたどったアートの未来の姿では・・・なんて。
先ほども言ったようにタイムパラドックスは現時点では存在しない(とされている)現象なので、どんなに屁理屈をこねても万人が納得する結論を出す事はできません。だからこそ無限に考察する事ができ、面白い議題だと私は思うのですよ。
ただし難点はこの手の考察をすると『屁理屈大好き・自分の意見が絶対正しいマン』が湧いてきて、文章力もないクセにやたら長文のメールを送りつけてくる事ですな。無駄よ、パッと見それ系のメールは読まずに捨ててるから。
超個人的な戯言感想
・・・というわけで、ジェイ・バルチェルが予想外にマトモだった事に驚きの『映画/トランスポート』
しかし世間の感想を読むと、彼のバカっぷりや変人っぷりがむしろ結末を引き立てていてイイ!…てな意見がけっこう多いようで。
いやいやいやいや!この映画の頃のバルチェルはめちゃくちゃ普通だから!
この作品の後あたりから彼はコメディ路線へと進み、どんどんわけのわからん顔でわけのわからん喋り方になっていくのですよ。ぜひ『映画/トロピック・サンダー 史上最低の作戦』や『映画/魔法使いの弟子』を見てちょうだいな。心配になってくるから。