【当ページには広告が含まれています】

注)当記事は映画『LOOP/ループ-時に囚われた男-』のネタバレを含みつつ、考察や解説などに触れています。未鑑賞の方はご注意下さい。

今回の1本はちょっと珍しくハンガリーの作品。『LOOP/ループ-時に囚われた男-』です。

タイトルからすでに『時間ぐるぐるループ系作品だよ!』と宣言していますが、ありきたりなループ映画のつもりで見ると困惑する事うけあいです。

LOOP/ループ-時に囚われた男-
(原題:HUROK)


2016年 ハンガリー

主なキャスト:

ディーネス・サーラズ
ドリナ・マルティノヴィチ
ジョルト・アンガー

監督:イシュティ・マダラース
脚本:イシュティ・マダラース

ネタバレ無しのあらすじ

薬品の密売に手を染めるアダム(ディーネス・サーラズ)は、今回の取引を最後に元締めを裏切って逃亡する事を決めていた。

しかし直前に恋人アンナ(ドリナ・マルティノヴィチ)の妊娠が発覚。頑なに堕胎を拒否するアンナを見捨てて一人で逃げることを決めたアダムは、彼女へビデオメッセージを残そうと録画を始めるのだが…逃走用の切符が無くなっている事に気付く。

「アンナが持っていきやがった!」と慌てて後を追うアダムは、街頭で同じように慌てて走るアンナと遭遇。

「切符はどこだよ!」
「なんで生きてるの!?さっき殺されたのに!」

…と、なにやら互いに話がかみ合わないまま、アンナは密売の元締めデジューの運転する車にはねられてしまうのだった…。

・・・・といった流れから困惑のループを楽しむ作品。

ループで戯言

さぁさぁ、ミステリー系好きにはたまらない『ループもの』です。

タイムスリップ・タイムリープ系の亜種とも言えるジャンルですが、一言でループと言っても様々なバリエーションがあるので・・・何をもって『ループもの』と定義すれば良いか私にはわかりません。とりあえず『同じ時間を繰り返す』『時の流れが輪になっている』と感じたら、それは『ループもの』として良いでしょう。たぶん。

ちなみに私が最も好きなループ作品は『映画/プリデスティネーション』です。「誕生から死亡まで、人生の全てがループしている」という壮大な作品で衝撃度120%でした。

それ以外では『映画/ミッション:8ミニッツ』もかなり好きですし、『映画/トライアングル』もムチムチボインがループしてくれるので好き。

どうやら私はループ系は大好物なようです。観賞しながら脳みそフル回転させるような映画は「頭のイッてる変人が出てくる映画」と同じくらいたまりません。

そこで本作『LOOP/ループ-時に囚われた男-』ですよ。もうタイトルから期待してしまうのですが…これまたちょっと毛色の違うループ作品となっています。


ここからネタバレを含むよ!!

ループ外へのきっかけが…

ホワイトボードに時系列に沿った表などを描きながら解説すれば楽なのですが、こういった文章だけの場でループ作品の解説やら考察やらを述べるのは非常に難しく、何をどう書けばざっくりとした物語の全体像を伝えられるのか…。

本作はほぼ3人の人物を使ってループを構成しており、アダム視点で物語が進むのですが…ここがまた混乱を招くというか、説明しづらい要因でもあります。本当であればアダムではなくアンナ視点で説明したほうが分かりやすいんですよね。。。

さらに話の展開も『うん、納得できる』という部分と『そりゃおかしいだろ!』という部分が混在しているため、うまーく製作者に都合の良い流れを受け入れてあげないと話そのものがクソになる危険性も。

そもそも最初にループに気付くアダムがおかしいんですもの。

ビデオメッセージを残し、切符が無い事に気付いて部屋を飛び出すアダム。その後アレとかコレとかになった末にデジューに殺され、その場からアンナが逃げ出します。…そしてぐるっとダッシュした彼女がぶつかるのは『切符が無いと気づいて部屋を飛び出した時点のアダム』です。

つまりアンナが過去に戻っているんですよね、ココ。

そこで出会ったアダムが『あれ?これはさっきと同じだ』と気付き、その後流れを変えるために奔走していく事となるのですが…この時点で彼が気付くっていうのがおかしい。

これを「とりあえずそういうもの」として受けれないと話が進まなくなってしまうのですが、どうも腑に落ちない部分ではありました。

「時間」ではなく「場所」

理由はさておき『ループに気付いたアダム』がその後あっちに行ったりこっちに行ったりしながら話を展開させるのですが、時系列がしっかりとしているかと言うと…そこも微妙。

全登場人物の時の流れが等しく一方向に進んでいるわけではないので、単純に「過去に戻っている」という思いで『時間軸』に着目して物語を追ってしまうと「あれれ?」と感じる部分が出てしまいます。本作はそうではなく『各場所での出来事』に焦点を当ててループを構築している、といった印象でしょうか…。

父親に会いに行く部分なども、それまでは「一人で」だったのを「アンナと二人で」のパターンに変えました。時間軸で考えてしまうと、ここで『一人で父親に会いに来たアダムと、アンナと二人で来たアダムが鉢合わせ』となってしまいますよね…。(どちらも父親が留守電を入れている最中に入ってきているので「一度一人で来た後に、再び二人で来た」とは解釈できません)

さらに言ってしまえば、この『アダムと二人で父親に会ったアンナ』がその後デジューにさらわれ、アダムの部屋に連れていかれ…と最初のループに繋がりますので、これはループを変えている行動ではなく、すでにループの中に組み込まれている行動でもあります。

・・・もうわけわからんですな。

要するに『ループに気付いたアダム』が流れを変えるためにアレコレやってはいるのですが、すでにその行動ありきで出来事が発生してしまっているわけです。

このへんを深く追おうとするとタイムパラドックスの矛盾まで話が広がってしまいますので…とりあえず本作品は「そういうもの」と受け入れたうえで「わけわからん感」を楽しむ作品でもあるのかな…と。

考察よりも戯言

前述した『映画/プリデスティネーション』の時は、必死にわかりやすく表まで作った末にレイアウト崩れを起こして見づらくなるという失敗をしましたので、本作に関しての考察はこのくらいで。

ダラダラと長文で屁理屈を並べられても、読んでいる方も疲れてしまいますし、ココ(映画で戯言三昧)はそういった小難しい場ではなく、下らない戯言で楽しんでもらう場です。

さぁツッコミましょう。ループとか時間軸とかパラドックスとか、そういう難しい理屈でごまかされている中に潜んでいる「なんじゃそりゃ要素」を楽しみましょう。

私はなにが一番ツッコミたいって、もうとにかく

・・・赤ちゃん、デカすぎない?

に尽きます。妊娠検査薬を使ってみる段階にしては赤ちゃんエコー写真…かなり成長してない?(汗)

さらに誰が可哀そうって、クズな彼氏に振り回されるアンナよりもデジュー(密輸元締め)の振り回され感に哀愁を感じます。

とにかく彼の周りにはあっちにもアダム、こっちにもアダム。車でアンナを追ってみれば、殺したはずのアダムがスクーターで追いかけてきて、さらにアンナをはねた現場にもアダム。

車内でアダムともちゃくちゃになってる最中にふと運転席側を見上げると…そこにもアダム(笑)

いったいお前何人いるのよ!!

と叫んでも良いくらいでしょう(笑)

1回で十分

本来は非常に斬新な印象を与える『ループ系』の映画ですが、これだけ世に溢れてくると「それぞれ斬新ではあるがだいぶ見慣れてきたかな…」といった印象もあります。

しかし本作はこれまでのループ作品とは違った味付け。ほほう、そういう形でアプローチしてきましたかー…と、再び斬新な気分にさせてくれる良作でした。

アレコレつっこみ所はあるもののタイムトラベル系はそれ自体がナンセンスなテーマですし、現実世界の屁理屈で納得しようというのがそもそも間違いでもあります。

とりあえずあっさりと『わけがわからん!でもなんか不思議!』といった感じで楽しめれば良いのではないかと。

そうそう、肝心のラストについて書くのを忘れていました。

まずはひと段落して幸せそうに寄り添う二人の前、なんとアダムの手の∞マークはこの時にマジックでアンナが描いたものでした。そして二人の目の前には見覚えのあるパン爺さんが座り、驚きの表情でアダムが見る先には・・・・

…やっぱり映画開始時のアダムがいるんでしょうなぁ。

しかしそこにいるのは『これからループに囚われていくアダム』であって、アンナと寄り添うアダムとしては放っておいて良いはず。しかしそれだと「え?じゃあ二人は過去に戻っちゃったの?」…と、最後の最後でさらに『???』を加速させる終わり方でした。

この部分もやはり『時間軸でしっかりと作りこまれた作品』ではなく『不可思議な空気を楽しむ作品』である事の証明である気がします。個人的にはこのラストは好きでした。

ちなみに原題の『HUROK』はハンガリー語で『ループ』という意味らしいですよ。

これまで製作国としては意識した事のないハンガリーですが、意外に侮りがたし。…ハンガリーってどのへんにある国でしたっけ?