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今回はかなりマイナーな映画『ザ・ハロウ/浸食』でネタバレ含む戯言感想を。世間では『見た目よりも中身が大事』などと言われたりしますが、そりゃ道徳的な綺麗ごと。現実、見た目は非常に重要なのです。

たとえ内容がひどい映画でも、どストライクの美人が出演していれば十分に見る価値あり。この『ザ・ハロウ』もそんな映画でございました。

これでブサ・・・いや、あまりお好みではない顔の女優だったら、途中離脱していたやも…。

ザ・ハロウ/浸食
(原題:The Hallow)


2015年 イギリス

主なキャスト:

ジョゼフ・マウル
ボヤナ・ノヴァコヴィッチ
マイケル・マケルハットン
マイケル・スマイリー

監督:コリン・ハーディ
脚本:コリン・ハーディ

ネタバレ無しのあらすじ

アイルランドのとある森。

森林伐採の事前調査のために移住してきたアダム(ジョゼフ・マウル)とその妻クレア(ボヤナ・ノヴァコヴィッチ)、そしてまだ赤子のフィン。

しかしそこは神格化されている森であり、近隣住民は伐採はもとより調査員のアダムに対しても不快感をあらわにしていた。

隣家住人からの警告を無視して調査を進めるアダムだが、徐々に森に潜む謎の存在に翻弄され・・・

・・・といった内容の作品。

微妙な作品ですが…

監督コリン・ハーディの長編デビュー作となったこの『映画/ザ・ハロウ 浸食』

彼はこの後、『映画/死霊館のシスター』でヒットを飛ばすことになるのですが・・・残念ながら私は未鑑賞。シスターに興奮する性癖ではないため、いまいち食指が動かず…。

冒頭、人は見た目がどうのこうの…という話をしましたが、本作はぶっちゃけボヤナ・ノヴァコヴィッチが出演していたから最後まで観れた作品

強引すぎたり適当すぎる展開が多く、早い段階で気分は冷めているものの、クレアが出てくると「ほわー、可愛ぇなぁ」と癒される。別シーンが長く続いて苦しくなってきても、再びクレアの姿で「うほー、やっぱええのう」とテンションを上げられる。

やはり人間見た目ですよ、見た目。

ちなみにこの作品は「暗闇の表現」が非常に高く評価されている作品でもあります。

たしかに映像表現には素晴らしい部分もありますが、それだけで”映画”として高評価とできるかといえばそれはちょっと違う気も。絵画とは違い、話の中身あってこその『映画』ですから。

「美人が出てれば、中身がクソでもそれなりに楽しめる」とか言っておきながら、矛盾するような発言ですけど。

妖精の国、アイルランド

ファンタジー作品ではお馴染みの『妖精』ですが、その本場と言っても過言ではないのが本作品の舞台ともなっているアイルランド。

神話や伝承の宝庫と呼ばれるこの国は、そりゃもう多くの妖精がいるそうな。日本の『妖怪』みたいなものですな。

ケットシーやバンシー、デュラハン、リャナンシー、レプラコーンなど…ゲーム好きっ子ならば聞き覚えがあるような名前が目白押し。

ちなみに最後が「シー」になっている名前が多いのは『シー=妖精』という意味のため。猫の妖精ケットシーは『ケット(cat)+シー』で猫妖精…といった具合ですな。

そういえば我が国、日本でも40歳まで童貞のままだと妖精になれるという話があるそうな。もしこれが本当だとしたら、日本国内にもそれなりの数の『オッサンシー』が存在するということに…。

「おかしくない?」が多すぎる…

あくまでも『映画』ですから、多少の矛盾やツッコミどころがあるのは仕方ないところ。現実ではなくエンターテイメントですから。

・・・とは言うものの、やはり「え?おかしくない?」という点が多すぎると冷める原因に。

本作品はとにかくそういう事が連発しすぎで、どうもストーリーに入り込めないというか…盛り上がれないというか…。

調査員だよね?

開始早々の森の調査中、アダムは動物の死骸から『黒い物体』を採取し、それを持ち帰って顕微鏡で調べてみると・・・”他の細胞を攻撃し浸食するようなもの”を発見しました。しっかりと自分の目で確認し、『なんだこりゃ』とまで言っています。

それなのに・・その後も謎の人影を見たり、黒い物体をあちこちで見たり、車のエンジンルームまで浸食されたりしておきながら、頑なに「これはコラムの仕業だ」の姿勢を貫き通すという、謎の頑固っぷり。いったいあの『黒い物体』はなんだと思ってるんでしょうね、この人。

たしかに学者系はヒステリックなまでにに超常現象を否定したがるものですが、もうちょい早めに『この森には本当に何かがいる』と気づかせたほうが自然だったのでは…。

夜なの昼なの朝なの!?

頑固なアダムが「ヤバい。化け物は実在する」と認め、家の発電機を動かそうとするくだり。このあたりは一応設定では「夜」のはず。だから一生懸命電気をつけようとしていますし。

・・・が、部屋が暗いシーンでの窓の外の明かりが強すぎない?

たしかに自然に囲まれた場所に行くと都市部では信じられないほど月明りが明るかったりしますが、シーンによっては「いやいや、真っ昼間だよねこれ!」と言いたくなるほど燦々と光が入っていたり…。

暗闇の表現がうんぬんというのならば、ここらへんも少し考えて欲しかった気が…。

光ダメ!鉄ダメ!…金属は?

トラウマ級の『鍵穴から鋭い針!』によって、アダムは見事ハロウの仲間入り。ほんと、ここのシーンはエグかったですなぁ。

そのせいでハロウ同様『鉄に触れる事ができない』という身体になってしまったわけですが・・・普通に室内の電気をつけていますので、光は全然大丈夫な様子。あれ?ハロウは光もダメなのでは…。まぁ「まだ変化中だから」という事で納得しておきますか。

それよりもだいぶ後の話、ついに光も苦手になり、奥さんが草刈り用の大鎌を振り回したあとです。

おいおい、鎌持って大丈夫!?・・・あ、大丈夫っぽい。柄は木製なのかな?で、それに布を巻いて・・ほほう、火をつけますか。・・・ってジッポ!?

先生!ジッポって金属じゃないんですか!?(笑)

見たところ普通にメタルなジッポですし・・・これはあれですか?純粋に鉄(Fe)は無理だけど、それ以外の金属(や合金)などはOKって事なんですかねぇ。

そういや発電機の本体とか、ガソリン携行缶とか普通に触ってましたもんね。やっぱりアレですね『ハロウは純粋な鉄はダメ』って事なんでしょうね。狼男が銀(Ag)がダメとか、そういう事なのでしょうか・・・。

このくらいで…

それ以外にももうツッコんだらキリがないほど『おかしいだろポイント』が連発ですが、まぁいいんです。B級ですし、ホラーですし、こういう揚げ足取りは映画をつまらなくする無粋な行為ですし。

しかしそう納得するにしても、あまりにも多すぎる。もはや製作者の脳ミソはウンコなのかと疑いたくなりますな。クレア(ボヤナ・ノヴァコヴィッチ)が出ているからこそ我慢しますが、それが無かったらDVDを叩き割って監督に着払いで送りつけたくなる出来ですぞ。

・・・どっち!?

あれこれと無粋な揚げ足取りばかりしてしまったものの。

物語終盤、フィンを無事に取り返した・・・と思ったら実はそっちは偽物(と思われる)で、アダムが本物(だろうと思う)を取り返してからの…

「そっちを置いていけ!こっちを連れて逃げろ!」

…の部分は非常に良かったですなぁ。「何かに支配されている」と感じていながらも、アダムを信じて子供を替えていったクレア。

そして夜が明け、赤子に光があたり・・・どっちが本物なんだろうというドキドキ感。

映画的には『正解』となるのがベタですが、なにせB級ホラーですから。「実は取り換えていったあっちがハロウでした!」という絶望エンドに持っていかれる可能性も少なくない(怖)。

最終的にはしっかりと『当たりフィン』を連れて行ったようで良かった良かった。この手の作品にしては珍しくスッキリな終わりですな。

超個人的な戯言感想

アダムは死んでしまったものの、とりあえず救いのない終わり方は避けられて良し・・・といった感じでエンディングを迎えてくるものの、やはりエンドクレジットで挟んできましたな(笑)まぁホラー映画のお約束でもあります。

この映画のテーマとなっている『森林破壊に対する警鐘』の意味を考えれば、あの部分も悪くなかったのではないかと。

『浸食していく黒い物体』に関して過剰に説明や理由付けが無かった点や、本の最後に描かれていた絵に関しても謎を残しているのも、個人的には高評価。

そういう『なんだかわからないもの』を、そのまま『わからないもの』として受け入れる事が大事であり、そこにアレコレと理屈をつけて理解したつもりになってるのが人間の悪い所なのでしょう。

・・・と考えると、「夜なのに明るすぎる!」とか「ジッポは金属では!?」とか、バカみたいな屁理屈を言ってしまった私も、森林伐採を続ける人間と同じような愚かな輩という事ですな。ぐぬぬ。

もしかしたら「30歳まで童貞だと魔法使いになる。40歳超えて童貞だと妖精になれる」という噂も本当なのかもしれませんぞ…。