北欧らしい表現がなんともモヤモヤする『映画/テルマ』でネタバレと結末を含む戯言。独自考察と解説も頑張ってみますが、なにぶんこういった作品(少女成長系)は苦手なもので…。
テルマ
2017年 ノルウェー・スウェーデン・デンマーク・フランス
キャスト:
エイリ・ハーボー
カヤ・ウィルキンス
ヘンリク・ラファエルソン
エレン・ドリト・ピーターセン
監督:ヨアキム・トリアー
脚本:エスキル・フォクト、ヨアキム・トリアー
ネタバレ無しのあらすじ
ノルウェーの田舎町。
厳格な親元で育ったテルマ(エイリ・ハーボー)は、オスロの大学への入学をきっかけに1人暮らしを始める。
アンニャ(カヤ・ウィルキンス)という同級生の女性と知り合い、惹かれ始めたテルマだったが、同時に原因不明の発作にも苦しめられていた。
やがて彼女の周囲で不可解が出来事が相次ぐようになり・・・
ノルウェー作品
本作はノルウェー・スウェーデン・デンマーク・フランスの合作となり、監督を務めるヨアキム・トリアーはデンマーク出身(活動拠点はノルウェー)。
「デンマーク」と「トリアー」でピンと来た方、なかなかの映画通ですな。そう、あの作品も人間性もどうかしている、キテレツ監督ラース・フォン・トリアーの甥にあたるそうですよ(…と公言されWikipedia等にも記載されているものの、近年になって「親戚関係というのは事実だがそこまで近縁ではない」と判明)。
まぁどちらにせよ北欧系、しかもフランスまで合作に入っているのだから、そりゃもうモヤモヤした映画になることは決定事項。あっち系の作品はハリウッド映画に慣れ切っている日本人にとっては地雷みたいなもんですから。
そっち系の作品であることを知らず、普段通りの気分で鑑賞を始めてしまうと…
- ダラダラした描写が多くダルい
- 現実と妄想の区分けがわからん
- 結局どういう事なのか意味不明
という『なんじゃこりゃ映画』になること請け合い。ぶっちゃけ日本人の感覚には合わんのですよ。
ハリウッド映画が小説だとすれば、あちらの映画は詩(ポエム)。漂う空気を感じとり、籠められた想いをこちらで推し量らねばならないのです。
「さぁ俺を楽しませてくれ」と、受け身スタイルで映画を楽しみたい人が見てもボロクソに文句を言いたくなるだけ。そういう方は大人しくトランスモーファーでも見ていたほうがマシですよ。トランスフォーマー?いえ、モーファーのほうで。
ざっくり解説
今回はやや回りくどい作品ですので、できるだけ明瞭簡潔な戯言で。
この『映画/テルマ』は『抑圧された少女の成長と解放、そして覚醒』がテーマとなっており、
- 片田舎で抑圧的な両親に育てられたテルマが、
- 新たな世界で成長して自らを解放し、
- ついには真の力に目覚める
というのが大筋。
なんとなーく『映画/キャリー』を彷彿とさせますが、トリアー監督自身が「キャリーは本作に影響を及ぼした作品の1つである」と公言しています。
キャリーは抑圧された少女の爆発を『ホラー』という形で世に送り出してきましたが、このテルマはまさかの…
超能力系サスペンスドラマ
という、予想外すぎる方向からのアプローチ。
そういえばベルギー・フランス合作で『REW~少女の目覚め~』なんて映画もありましたが、アレは『カニバリズム(食人)』という、さらにぶっ飛びなアプローチで少女の成長と解放を描いていましたので、まだ超能力のほうがマシですな。
しかしこの超能力が『ムムムムッと念じて物を動かす』とか『ピピピピッと何かを感じ取る』といった明確なものではなく、「物事が望んだ通りになる」という漠然としていてチート感ハンパない性能だから困る。
どうでも良い話ですが「テルマ」と聞くと「青山」と浮かぶのは私だけではないですよね。
超能力とラストの考察
自らの能力によってアンニャを失い、父すらも消し去ったテルマ。
最終的にはその能力を自らの意志で”行使”できる域に達し、母の脚を治してオスロの大学へと戻り、アンニャを”自らが望んだ形”で復活させて物語は幕を閉じます。
果たして彼女は神なのか、それとも悪魔なのか・・・。
この結末をハッピーエンドと見るかバッドエンドと見るかは、観る側の人生にも左右されると思いますなぁ。
テルマの一連の行動(弟殺し・父殺し)を自己中心的で不快と感じる方もいるかと思いますが、もともとはあの独善的な父親とクソみたいな母親が悪いわけですから。弟が生まれて不条理な我慢を強いられるようになった彼女に対し、両親でしっかりと愛情を注いであげていればこんな悲劇は起こらなかったのでは…と個人的には感じます。
もしかしたら彼女の能力も歪んだ形ではなく、人を幸せにする形で顕現していたかもしれませんぞ。
結局のところ、子供が成長して神となるか悪魔となるか・・・それはやはり親次第という事なのでしょう。
超個人的な戯言感想
…というわけで、どう評価して良いのか迷うような『テルマ』という作品。
とりあえず人に勧められるような映画ではありませんな、いろんな意味で。
ついでに余談ですが・・・
あのラストシーン(じっと木を見つめ、アンニャが戻ってくることを想像するシーン)でふと、
そもそもこれって本当に超能力モノだったのか?
…と頭をよぎりまして。
この作品は「現実」と「虚構・妄想」が複雑に絡み合っており、その境目もやや曖昧。
ならば虚構・妄想のパートをさらに拡大して解釈し、彼女の能力そのものが虚構だった…という考え方もありなのでは?『超能力』として表現されていた部分は、もっと違う何かを暗喩していたのでは?…なんて思ったわけです。
もちろんそう解釈すると矛盾する部分や説明がつかない部分があり、深く考察していったらめっちゃくそ長くなりそうですが・・・・なんとなーくそう感じた、というだけの戯言です。
あちらの映画は作品そのものの”ゆらぎ”が大きく、こんなありえないような考察でもそれなりに辻褄が合いそうな気がするのが実に面白いですな。