「記憶探偵と鍵のかかった少女」何がホントで何が嘘やら…ネタバレ含む

なにやらインパクトのあるタイトルですが「他人の記憶の中に入り、観察する事ができる能力」を持った人間のお話です。設定にこういった「超能力」を盛り込まれると、矛盾や違和感も全て「うん、超能力だからね!」で片付けられちゃうのが残念なところ。

この作品も観る側で補完しなければならない点が多く、「まぁ・・・超能力だし・・ね?」という結論で済ませたくなる難解な映画です。

記憶探偵と鍵のかかった少女
(原題:MINDSCAPE)


2013年 アメリカ・スペイン合作

主なキャスト:

マーク・ストロング
タイッサ・ファーミガ
ブライアン・コックス
ノア・テイラー

監督:ホルヘ・ドラド
脚本:ガイ・ホームズ

ネタバレ無しのあらすじ

他人の記憶に入り、観察することで事件を解決に導く「記憶探偵」であるジョン(マーク・ストロング)は、16歳の少女アナ(タイッサ・ファーミガ)の記憶を探る依頼を受ける。

しかし調査を続けるうちに彼女の記憶や生い立ちに入り込みすぎてしまったジョンは、そこに隠された「真実と嘘」に翻弄される事に。

彼女に隠された謎、そして時折現れる怪しい影・・

果たして真相は?

・・・といった内容の作品。

これまたおかしな邦題で・・・

こういった「原題とはかけ離れた、独自の日本語タイトル」を付けられる映画って、時々ありますよね。

原題がシンプルな単語で、日本人には内容をイメージしづらい場合などに多く見られます。しかし「いや、そのままシンプルで良かったんじゃ・・」という邦題も多々ありますよね・・。ものすごくセンスが無かったりとか。

個人的に、最もひどいと思う邦題は「映画/ラスベガスをぶっつぶせ」です。原題が「21」なので、それでは意味わからんと思ったのでしょうが・・・あまりにもセンスが無い。そのタイトルだけで鑑賞する意欲をぶっつぶされます(笑)

そんな中、この作品の邦題は比較的センスが良いほうかと。

キャスト

この「映画/記憶探偵と鍵のかかった少女」を選んだ理由の1つが、マーク・ストロング

「とりあえず脇に置いておけば安心」の俳優として好きだったのですが、彼が主演の映画はあまり見た事がないので興味がありました。

結論としては「やっぱり彼は脇に置いておくのが一番だね」という正直な感想でしょうか…。決して否定的な意味ではなく、彼の魅力が光るのは主演ではないんじゃないかなー、という意味です。

ブライアン・コックスも「どこに置いても安定」の俳優ですし、ノア・テイラーはクセが強いですが独特の雰囲気があって好きです。

肝心のタイッサ・ファーミガは・・・すまんっ!ダメです!生意気なツラと目つきが、見ていてひっぱたきたくなってきます。。。


ここからネタバレを含む考察になるよ!!

なにが嘘でなにが真実やら・・

見ている間は意味がわからない点も、最後まで観れば理解できる・・・という映画は多くあります。「ああ、あれはそういう事だったのか」と、モヤモヤしていたものが納得できたり。

しかしこの『映画/記憶探偵と鍵のかかった少女』は、そう簡単に説明がつきません。

見ている間も謎は多くあり、最後の最後で「なるほど・・そういう事だったのか」と納得できたような気になるのですが・・・よく考えてみれば「いやいや、だったらなおさら謎だよ!」という部分も増える始末です。

人によって答えが違う系の映画ですが…私個人としての見解と考察でいってみようと思います。

そろばんみたいな…アレは何?

セバスチャンのオフィスでジョンがぶっ壊してしまった「そろばんのような物」ですが、あればアバカスと呼ばれる算術器具の一種で、ロシアのアバカス「Schoty(ショティ)」というもの。ちなみに日本のそろばんもアバカスの一種という事になります。

ショティ
ショティ

この写真だとわかりづらいのですが、本来のショティは1本だけ珠が4個の列があり、それ以外は全て珠10個。

しかしセバスチャンのオフィスにあった物は、ジョンが盛大にぶちまける前から1本だけ珠4個、残りは珠が9個しか入っていません。とても意味ありげな小道具として使われているので、後から一時停止で数えました(笑)

しかしこの「珠が足りない」が何を意味しているのか・・・どうにも私にはわかりませんでした。もしかしたら足りない事には意味がないのかもしれません。

明確に「これはっ!?」と思ったのは後のシーンでの登場時なのですが、その話は後ほど・・・。

記憶探偵が記憶探偵の記憶に・・

いきなりラストのネタバレになってしまいますが、それを踏まえた上で考えないと、どうにも話が進まないので・・・。

映画冒頭の部分。黒い画面にオープニングクレジットが流れながら、格子が開くブザーの音、そして「20分だ」の声と、椅子を引く音。これはランドグレンがジョンに面会を開始する部分。すなわち、この物語最大の伏線とも言えます。

ここからランドグレンがジョンの記憶に入り・・・物語終盤に再びランドグレンとジョンの面会の場面になるまで。つまりこの映画のほぼ全編が「ジョンの記憶」になるという事です。(そうではないと考えられる部分もありますが・・)

これがまたややこしい。

なにせ、ランドグレンが入っている記憶の中で、ジョンはアナの記憶の中に入るのですから。もはや二重記憶探偵です(笑)

全てが真実ではない

しかし、ここですでに問題があります。

物語の中で、ジョンは怪しい人影を何度も見かけ「自分を尾行している者がいる」と感じ、それによってアナの父親のオフィスを漁るなどの行動をしています。

しかしこの「尾行していると思っていた者」は、ジョンの記憶に入っているランドグレンの姿なのですから、実際にはそんな人物はいなかったはず。

つまり、そのへんの絡みの部分は「真実ではない」という事にもなってしまいます。

アナの記憶

アナはジョンと接触しているうちに能力を学び、セッションをコントロールできるようになった・・・という事らしいです。

おそらく一番最初のセッション時はまだそいういった事はできていないようですので、おそらく最初に見るアナの記憶は「ほぼ事実なのではないか」と。む?。…だとすると、父親がメイドとアレコレしてたのも事実って事ですか・・・くそう、羨ましい。

しかしその後のセッションは「記憶が偽られている可能性」が出てきますので、「どれが真実でどれが偽りか」を考察していったらアホみたいに長い文章になってしまいます。

これは私個人の見解なのですが、作品中で描かれている「ジョンがアナの記憶に入っているシーン」以外でも、ジョンは複数回アナの記憶に入っているのではないでしょうか。

全てのつじつまを合わせるには展開があまりにも早いですし、セッションの回数も少ない気がします。

アナの幻影

作品中でジョンはたびたびアナの幻影を見ます。これ・・・どう解釈しましたか?

人によっていろいろな解釈があると思うんですよ、この部分。

私もいろいろ考察してみたのですが、女の尻と下ネタが大半を占めている私の脳ミソでは以下の案しか出ませんでした。

1・実際にその場面でアナは見ていない説

ジョンはアナの幻影を見て、それをセバスチャンに伝えたり、行動したりしています。しかしそれ自体が偽りの記憶だとも考えられます。実際にはそんなものは見ていないし、それに関わる行動もしていない。

ランドグレンが彼の記憶に入り、その幻影を見る事で「尾行されている」と感じて行動していた部分と同じように、この記憶自体が事実と異なる・・・とも考えられます。

2・ランドグレン見間違い説

ジョンの記憶には、それを観察しているランドグレンが何度も登場しています。しかし明らかに顔が見えて「ランドグレン」とわかるのは、物語終盤にジョンが慌ててアナの屋敷を訪れた時から。それまではシルエットだけです。

ジョンが「アナの幻影だ」と思っていたのは、実は記憶を観察しているランドグレンで、ジョンの潜在意識がそれを「アナだ」と認識させたのではないか・・・という。

うむ、これは一番違う気がします(笑)

3・アナがジョンの記憶に入っている説

個人的にはコレが一番あり得ると思っている考察です。

アナはジョンと接し、セッションをコントロールできるようになった・・とされていましたが、はっきりと「相手の記憶に入って観察できる能力を得た」とは明言されていません。

しかし、アナがジョンやランドグレンと同様の能力を持ったのだとしたら。

アナの幻影が見えているシーンは「ランドグレンがジョンの記憶に入っているシーン」ではなく、「アナがジョンの記憶に入っているシーン」なのではないでしょうか。つまりあれは「ジョンの記憶を観察しているアナ」なのではないかと。

最初にアナの記憶に入る際にジョンは「私を見ても誰かわからない」「隣にいても気づかない」と言っています。「誰かわからない」と「気づかない」じゃあ全然違うよ!とも思いますが・・・そういう事らしいです。

作品冒頭に出てきた、ジョンが女性の記憶に入っているシーン(女性が襲われる記憶)では、明らかにジョンの姿は女性には「見えていない」感じです。

ここで私的な見解なのですが・・「能力を持っていない者には、記憶に入り込んでいる観察者は認識できない」しかし「同じ能力を持っている者なら、観察者をある程度は認識できる」のではないでしょうか?

なんか超能力にありがちな設定ですよね。スタンドはスタンド使いにしか見えない・・てな感じで。

アナの最初のセッションの際、幼いアナはまったくジョンのほうを見ていません。覚醒後も「いたの?気味悪い」と言っています。この時点の彼女は「能力が無い」から、認識できなかったのでしょう。

しかしその後のセッションでは、明らかにジョンを見ている動作があります。ジョンの顔は明確に見えていないかもしれませんが「そこに何かがいる=記憶を観察してるジョン」と理解できているのでしょう。

全体的にシームレスな描き方をされているので「どこからどこまでが、アナinジョン」なのかが難しくなってきますが、「そのシーンはアナがジョンの記憶に入っていた部分だった」もしくは「アナがジョンの記憶に入っていた記憶にランドグレンが入っている(なんじゃこりゃ(笑))だと思います。

これも「作品中で描かれていないセッションが複数回あったのではないか」と思う理由の1つです。

「こめかみのペッタンはどうしたのよ!」という意見がありそうですが、アレは「記憶に入るための道具」ではなく「記録しておくための道具(証拠として)」と説明されています。

そろばん、再び・・

ぐはー。少し長めに考察したので、頭から湯気が出てきました。

最初にお話した「ロシアのそろばん・ショティ」ですが、後半にもう一度出てきます。アナの記憶の中で、義父だった部分がセバスチャンに置き換わった際、その手に持たれています。

なんとこの時のショティ、オフィスにあった時と違って、全ての鋼線に珠が9個入っているんです。1本だけあったはずの、4個だけの部分が無いんです。かなり確認しづらい持ち方をしていますが、一時停止でしっかり調べました。

これはすなわち「この部分の記憶は偽りですよー」という伏線・・・かもしれません。

なぜ「かもしれません」などという言い方をするかというと…

だって、こんな一瞬で珠の数をかぞえられる人なんていますか!?持っているセバスチャンの手が邪魔になっていますし、一時停止でじっくり見てやっとわかる・・って程度ですよ!?

伏線とするにはあまりにも難解すぎる。それゆえに、ただ単に小道具さんの怠慢の可能性もある気がするんです(笑)

何が本当で何が嘘やら・・

全体的にはまぁまぁの映画なんです。しかし何かもったいない。

「どれが真実で、どれが嘘か・・」を明確にしない点はまぁあ良いのですが、細かい矛盾やどうにも腑に落ちない展開が多々あります。

ものすごく意味ありげに使われた「ショティ」も伏線としては弱い。アレをもっと上手に使う事もできたのではないかと。

ちょっとややこしい表現になりますが、「真実か嘘か謎の部分」「確実に真実の部分」をもうちょっとだけ明確にして欲しかったです。

そうでないと、矛盾やおかしい点があったとしても全て「真実の記憶ではない・・かも」で片付けられちゃいますから。それって映画としてはちょっと違うと思うんですよね。

ついでに・・・。私はあちらのお国柄に精通しているわけではないので、的外れな考えかもしれないのですが・・・

卒業アルバムで本名の下に「”MOUSEY”(マウシー)」って印刷されますかね?
それともこれも「偽りの記憶」!?