今回の1本は『映画/ボディ・ハント』、最後のオチとネタバレを含みますのでご注意下さい。
『映画/ハンガー・ゲーム』でも有名なジェニファー・ローレンス主演のスリラー作品ですが、意外に秀逸な脚本ですので彼女目当てでなくとも楽しめるのではないかと…。
ボディ・ハント
(原題:House at the End of the Street)
2012年 アメリカ
主なキャスト:
ジェニファー・ローレンス
エリザベス・シュー
マックス・シエリオット
ノーラン・ジェラード・ファンク
ギル・ベローズ
アリー・マクドナルド
ジョーダン・ヘイズ
エヴァ・リンク
監督:マーク・トンデライ
脚本:デヴィッド・ルーカ
ネタバレ含まないあらすじ
シカゴを離れ、母サラ(エリザベス・シュー)と共に郊外へと引っ越してきたエリッサ(ジェニファー・ローレンス)。
二人が住む事になる新居は広くて賃料も格安。しかしそれには理由があり、4年前に『娘が両親を惨殺して失踪する』という恐ろしい事件が起きた家が隣にある…という訳あり物件。
まぁ過去の話だし大丈夫でしょ…と住み始める二人だが、今は無人と思われたその家には一人息子のライアン(マックス・シエリオット)が住んでいた。
警戒する母に対し、ライアンの不幸な生い立ちと独特の空気に惹かれていくエリッサ。
しかし彼には誰にも言えない『秘密』があった…
・・・といった内容の作品。
キャストで戯言
痩せたり太ったりが激しいジェニファー・ローレンスですが、本作での彼女はムチムチVer.
走ればぷるんぷん、這いまわればぷりんぷりん。胸も尻も破壊力バツグン状態でのご登場になります。シュッと細見の彼女も素敵ですが、私はこっちバージョンのほうが好きですな。ちょっと二重アゴだけど。
そしてその母親にエリザベス・シュー。彼女もおっぱい戦闘力の高い女優さんですので、ぷるんぷるんが大好きな方には親子丼ぶりが楽しめる作品となっています。
二人とも…特にジェニファー・ローレンスのほうは狙ってる感のある衣装チョイスですし、終盤も「白のタンクトップとムチムチジーンズ」という露骨なまでにサービス精神旺盛なスタイルで暴れまくってくれます。
さらにおっぱい母子以外の女性キャラも、友人からダイナーの女性に至るまで美人揃いの本作。
友人のアリー・マクドナルドも素敵ですし、やけに気になるダイナーの美人はジョーダン・ヘイズという女優さん。どちらも映画出演は少ないんですけどね…。
男女問わず、全体的にドラマ俳優が多く出演している作品でもあります。
ここからネタバレを含むよ!!
意外な脚本
人気女優を起用し、その魅力だけで押し切る映画って多いじゃないですか。脚本は安っぽいけど、とりあえず好きな美人が見れたから良いや…的な、もはやPVに近い映画って。
本作も単なる『さぁ、存分にジェニファー・ローレンス(のおっぱい)を堪能しましょう』という映画かと思いきや、予想外に脚本が面白い。
ゴリゴリのサスペンスやミステリーと比べてしまえば、たしかにある程度予想の範疇で展開されてしまう部分はあるものの…しっかりと「どんでん返し感」も味わう事ができる秀逸な作りです。
両親を殺害し、森へと消えたキャリー・アン。なんとその彼女はその後もジェイコブソン家の地下で、ライアンの世話によって生きていた!!
…という、安いスリラーであれば最後のオチに持ってきそうな展開を序盤から投入。
さらに地下室から逃走してしまったキャリー・アンをライアンがどうにか捕えたと思ったら…暴れる妹の首を力余ってヘシ折っちゃった!ときますから(笑)
すごい展開です。
隠し玉のはずの『キャリー・アンは生きていた』というネタをアッサリ使い捨てる手法は見ていて斬新ですらありました。
せっかく世間の目から隠してきた妹を、こんな事で失ってしまうなんて…可哀そうなライアン…。
二転三転
…が、そんな鑑賞者の同情は大きく覆される事となるわけですよ。
ここに至るまで、あなたはどちらの目線で彼を見ていましたか?
過剰にライアンを警戒し、エリッサの行動をたしなめる母サラ。彼女に共感できるのであれば「ライアン=怪しい」で見れるのですが、私は彼女の自己満足な母親っぷりに嫌気がさしていたので、どうしてもライアン擁護目線で見てしまい…。
妹を失った事でおかしくなってしまい、エリッサを『新たなキャリー・アン』として監禁したりするのかな…という程度の予想でした。
ところが彼のヤバさはその斜め上を行き、すでにダイナーの美人を『新たなキャリー・アン』として拉致監禁済み。
さらに『やっぱりエリッサに変更っ!』ときたもんだ。
これだけでも『ちょっとだけヒネったスリラー作品』で通用しそうな展開なのですが、さらにさらに…
キャリー・アンは最初から死んでおり、ライアン自身がキャリー・アンだった!
という衝撃の真実に着地。これは読めなかった…。
事の顛末をざっくりネタバレ
複雑な伏線などもなく、わざわざ解説するほどの内容ではないのですが…一応ざっくりと話の流れをネタバレ表にしてしまうと、
- 幼少時、ライアンとキャリー・アンがブランコで遊んでいた際にキャリー・アンは事故死。
- キャリー・アンは両親の手によって森に埋葬(顔に見える木の下に埋められた…という事かも)
- ライアンは『キャリー・アンとして生きる事』を両親に強いられる。(世間には「ライアンは伯母の家に預けました」という事にする)
- ライアン、両親を殺害
- 伯母の家から戻ってきた…という形で、その家に住み続ける。
- どこかの女の子を攫ってきて、キャリー・アンとして地下室で飼育。
- エリッサ達が引っ越してくる。その時のキャリー・アンは死亡。
- ダイナーの美人を新たなキャリー・アンに。
- やっぱりエリッサをキャリー・アンにしようとして失敗。
…という流れになります。エリッサが引っ越してきた時に地下室に幽閉されていたのが何代目のキャリー・アンになるのかはわかりません。
まぁ細かい事を言えばツッコミどころもあるのですが、上手に小さくまとまった作品という印象でした。主演がジェニファー・ローレンスじゃなかったとしても十分に楽しめる内容なのではないかと。
意外に良作
これが単純に『美人を監禁してハァハァ…』といった目的であれば、なにもダイナーの美人とエリッサと両方監禁しとけば良いじゃないか!…と思うのですが、彼にとってはあくまでも妹の代わり。すなわち、自分がライアンとして生きるための代役です。
過失とはいえ妹を殺してしまった事で、キャリー・アンとして生きなければならなくなった。そんな自分が再びライアンとして生きるならば、代わりに誰かにキャリー・アンとなってもらわないといけない。
彼にとってはそういう事なのでしょう。
あれれ、意外に奥深い。胸とか尻とか言っていたのが恥ずかしくなるような、悲しくも切ない話です。誰ですか「おっぱいとおっぱいの親子丼ぶり!」なんて下劣な事を言ってたのは。
それにしても・・・この邦題はちょっといただけない気がしませんか?
『ボディ・ハント』って、安っぽすぎるうえにネタバレてるじゃないですか。原題の『House at the End of the Street』(直訳すると「通りの終わりの家」)がなんとも言えない雰囲気の良タイトルなのに…。
なにはともあれ、単純に『ジェニファー・ローレンスを愛でるだけの映画』という枠にはハマりきらない、コンパクトな良作でした。
しかし彼女は、そのモサーっとした目を余計なメイクで誤魔化そうとしないほうが可愛いと思いますなぁ。髪も結ばず、素朴な雰囲気のジェニファー・ローレンスのほうが好きです。個人的には。