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今回は「残虐すぎて正視できない」と物議を醸した・・・という触れ込みの「映画/ハイテンション」です。しかし残酷描写もそこまでのものではなく、さらにはこの映画のキモとも言える「驚きの結末」も、かなり早い段階で予想できてしまい・・・。

個人的にはちょっと残念な映画となってしまいました。。。

ハイテンション
(原題:HAUTE TENSION)


2003年 フランス

主なキャスト:

セシル・ドゥ・フランス
マイウェン
フィリップ・ナオン

監督:アレクサンドル・アジャ
脚本:アレクサンドル・アジャ、グレゴリー・ルヴァスール

ネタバレ無しのあらすじ

女子大生のマリー(セシル・ドゥ・フランス)は親友のアレックス(マイウェン)と、田舎にある彼女の実家で週末を過ごす事に。

しかし突如訪問してきた中年男(フィリップ・ナオン)に家族が次々と殺害され、アレックスも捕らわれてしまう。

一難を逃れたマリーは、必死にアレックスを救い出そうとするが・・・

・・・といった内容の作品。

キャストで戯言

世間の感想を拝見すると、主演のマリー役セシル・ドゥ・フランスに萌え萌えしている方の多い事といったら・・・(笑)

たしかに「金髪ベリーショート、ややスレンダーぎみだけど良いお胸、ピッタリしたTシャツ着用(ちょいちょいヘソが出る)」という、どこぞの漫画に出てきそうなルックスは好かれるのも納得。

対して親友のアレックス役マイウェンのほうはというと・・・それほど騒がれていません。まぁ・・わかります。

しかし彼女は「映画/フィフス・エレメント」に出てきた異星人オペラ歌手ディーヴァ役の人だったのですね。特殊メイクで誰なのかわからないような顔になっていましたけど。そうかー、あのよくわからない言葉で唄っていたイカ星人かー・・・。

残虐描写よりも・・・

このへんは個人的な差が大きいと思うのですが、私としては「残虐すぎて正視できない」とは思いませんでした。むしろ「あれ?この程度なのか・・」といった印象です。

もっと「リアルすぎるゴア表現」で押してくるような作品かと思ったのですが、普通に「そんなわけあるかーい」な描写で・・・そのへんのスプラッタ映画とさほど変わらない気も。

それよりもなによりも、この映画が物議を醸しているのは「残虐なシーン」ではなく「その内容」です。

とにかくアレやコレやと批評され、「史上最低クソホラー映画」と評する方もいれば「極上のホラーサスペンス」と絶賛している方もいます。面白いですねぇ、人の感覚って。

どこがハイテンション?

そして「ハイテンション」という題名も、日本でよく使われている「ヒャッハー!あげあげー!!」な意味合いと勘違いしてしまうと、へんな事になってしまいます(笑)

「気分が盛り上がっている」というような意味で使っていますよね、こちらでは。

しかしそれは英語としては間違いで[Tension]は不安や緊張といった意味になります。ですので[High tension]は「極度の不安・緊張」という事になるのですね。

マリーがヒャッハー!とおかしくなっている…という意味ではありません(笑)

もう初っ端から結末のネタバレに触れるよ!!

あれ・・なんか矛盾してない?

最終的な解釈は人によって違うようですが、とりあえずこの映画のオチは「殺人鬼だと思ったら、それはマリー自身でした」です。

まず、これを面白いと思えるか、クソオチと思うかで、評価が分かれてしまうところです。

残念ながら私は序盤・・・というかほぼ冒頭の「自分に追われる夢を見た」という会話から、二人がトラックに乗ってガソリンスタンドに着くあたりには「これたぶん、マリーの多重人格オチなのでは・・」と気づいてしまいました。

そこまでの段階でそっち方向のオチへ結びつく伏線も散りばめられていましたし、その後もパラパラと混ぜ込まれてきます。

しかし、矛盾も多数あります。

この映画がクソと呼ばれる大きな理由は、その「本人でしたオチは良いとして、だったらアレはなんなのよ!」という要素が多すぎるところでしょう。

私も同じように感じました。

せっかく序盤にインパクト大だった「生首で〇ェラ」はなんなの?
あのトラックはどうやって持ってきた?
銃はどうやって?
1人で2台のカーチェイス?
ビニールハウスでの挌闘は?傷も残ってるよ?

などなど・・・あれれポイントを挙げればキリがありません。

全ては妄想でした・・ってアリ?

この映画の冒頭は、傷だらけの背中で「誰にも邪魔させない・・」と繰り返すマリーの姿から始まります。そして録音が開始される・・・

つまり、本編の部分は「マリーの供述」という事になります。

映画中で「矛盾している部分」は「マリーの供述が矛盾している」という事。彼女自身が「殺人鬼がいた。アレックスがトラックに載せられた。自分は給油所で車を手に入れて追った。必死に戦って彼女を助け出した」と本気で思い込んでいる。そう供述している・・という事。それを映像化したのが本編なのですね。

決して「実際に起こった真実」を振り返っているのではなく、彼女が「どう認識しているのか」を観せられているわけですから・・・そりゃ矛盾もしているでしょうよ(笑)

しかし・・・どこから出したのか謎の銃もしっかり父親の部屋の壁にかけてありましたし、母親が死に際に「・・・なぜ?」と聞くのも、オチと噛み合います。

そんなふうに「しっかりつじつまが合う部分や伏線として成立している要素」が少しあるものだから・・・観ているこっちが混乱するのも致し方なしです。

映画ではよくあちがちですもんね。留置場などの冒頭から始まり、そこで犯罪者が供述する内容を本編として、最後に留置場に戻る・・みたいな見せ方は。

だとしても・・矛盾してない?

解釈は人それぞれですので、この「マリーの供述をそのまま映像として描写している」という見解がおかしいと思う方もいることでしょう。私の見解を押し付ける気はありませんし、自分と違う解釈を聞くのは楽しいです。

とりあえず今回は私の解釈のまま話を進めさせてください。でないと何も書けませんので・・(笑)

冒頭のマリーから最後のマリーまでの間、映画の本編となる部分は全て「マリーがそう思っている」という内容なのですが・・・そうだとしても矛盾を感じる部分は多々あります。

まず2台の車でカーチェイスは100%あり得ませんから、あのへんの描写はマリーの中の「殺人鬼人格」と「マトモな人格」の戦いという事なのでは・・と。おそらくトラック1台で、マリーが運転して移動していたのでしょう。

ガソリンスタンドから持ってきた銃の弾が抜かれていた点も、「殺人鬼人格」のほうが「マトモな人格」を出し抜くためにやったのでは・・・と思いましたが、なんか書いているうちにそれもおかしい気がしてきました(笑)がははは。

いちおうアレコレと考察することはできるものの、そのへんを全て理論立てて説明するのは私の言語力ではちょっと難しいようです。。。

説明断念(笑)

頭をこねくり回せは無限にアレコレ考察が出てくるものの、その全てが「〇〇〇かもね」の域を出ませんので、偉そうに書き並べるのはやめました。ごめんちゃい(笑)

しかしごく普通に「2人だと思ったら1人でしたオチ」の映画だと考えれば面白いかと言うと・・それもまた微妙なところです。腐るほどありますよね、このオチの映画。

そしてそういうオチの映画は、最後に種明かしをした時に、どれだけ内容のつじつまが合っているか・・が大事になってきます。矛盾点があると一気に萎えてしまいます。

おかしな部分は全て「妄想でした」で納得するのは難しく、もはや「夢オチ」に近い反則を感じてしまいます。

最初にも書きましたが、私としてはこの「映画/ハイテンション」は目を覆いたくなるようなゴア描写というほどでもなく、驚愕の結末でもなく・・・映画としては微妙でした。

それよりも、こうやって後からアレコレこねくり回せた事が楽しかったです。

ベタなアメリカ映画のように「コレ!」という明確な正解があるわけではなく、何十通りもの解釈ができるような映画は大好きです。

もっとこういう「批評掲示板でバチバチと罵り合いが起きるような、解釈の分かれる作品」がたくさん出てきて欲しいなぁ・・と願います。違う解釈の人からの批判コメントが怖いですけど(笑)