今回は記事にするのが厄介な『映画/イット・フォローズ』でネタバレと設定や謎に関する考察・解説を含めた戯言を。
最初に申し上げておきますが、今回はめちゃくそ長いです。
わたしゃ常々『ダラダラと長くせず、軽めで読みやすい記事を』を心掛けており、過去に1回鑑賞しているこの映画も「長くなりそうだから」という理由で避けておりました。
長い文章がダルい方は別の映画の戯言へとワープして下さい。
イット・フォローズ
2014年 アメリカ
キャスト:
マイカ・モンロー
リリ・セプ
キーア・ギルクリスト
オリヴィア・ルッカルディ
ジェイク・ウィアリー
ダニエル・ゾヴァット
監督:デヴィッド・ロバート・ミッシェル
脚本:デヴィッド・ロバート・ミッシェル
あらすじ
ジェイ(マイカ・モンロー)は新しくできた恋人ヒュー(ジェイク・ウィアリー)とついに結ばれる事に。
しかし行為後、彼から告げられたのは
「これからは”それ”がおまえを追ってくる。捕まったら殺される。早く誰かに移せ」
という、わけのわからん警告。
しかしその言葉通り、彼女を追う”それ”はやってきて・・・・
・・・といった流れで、素っ裸の変態がゆっくり迫ってくるホラー作品。
キャストで戯言
今回は本編の考察と謎に関する解説が長くなりそうなので、キャストで戯言はダッシュで通過致しまーす。
主演はマイカ・モンロー。
設定がエロティックでベッドシーンは多いものの、残念ながら露出は下着まで。私はあまり好きなお顔ではなく、妹役のリリ・セプのほうが好みです。
彼女をもっと愛でたいならば『映画/ゲスト』でどうぞ。
ついでにもう1人。
彼女が”それ”に追われる原因となったヒデぇ彼氏ヒュー(本名はジェフ・レモンド)を演じたジェイク・ウィアリーが気になる方は、超B級映画『ゾンビーバー』に出演していますよ。
いや、彼が気にならなくとも見ましょうよ。極上のクソ感がたまりませんし、エロティックなシーンも多数ありますぞ。
ネタバレあらすじ
今回は考察に本気を出すので、まずはあらすじをざっくり。
戯れ流『イット・フォローズ』
ネタバレ1分あらすじ
ジェイは彼氏のヒューとお車で合体。
すると彼から「おまえは”それ”に追われるから、さっさと誰かとヤッて移せよー。おまえが死ねば俺に戻ってきちゃうからなー」と告げられる。
その言葉通りにジェイを追う”それ”は現れ、友人達の助けでどうにか切り抜けようとするが上手くいかず。そもそも”それ”はジェイ以外の人間には見えない。
怪我を負ったジェイは、友人グレッグと病院のベッドで合体し、彼に”それ”を移すも・・・あっさりグレッグは殺られてしまい、再びジェイを追い始める。
僕に考えがある!!…と閃いたエスパー伊藤似のポールのアイデアでプールに”それ”をおびき出し、電化製品で感電させるのかと思いきや・・・普通に銃で撃ったれ撃ったれ、友達の脚も撃ったれ。
その後、意味があるのか意味がないのかわからない展開でポールとジェイは合体!し、彼らの後ろを歩いて付いてくる人影が・・・・。
・・・で終了。
といった流れ。
途中から「はい?」と感じるでしょうが、映画自体がそんな感じです。
プールまでは設定モノ正統派ホラー、プール以降はツッコミ困惑ホラー、それが『映画/イット・フォローズ』です。
しかしこの手の『解釈の幅が広い作品』は”いかにもっぽい考察”を垂れ流しやすいため、「どう?俺の考察深いだろ?」的なドヤ顔ブログやレビューはたっぷり山盛り具沢山。
とりあえず私も考察・解説を垂れ流しますが、あくまで一個人の脳ミソからひねり出されたものですので、正しいかどうかは知りません。
もしかしたら的外れな事を書いているかもしれませんが、いつもの如く生暖かい目、もしくは白い目で見守っていただけると幸いです。
設定と暗喩を考察・解説
まず本作の”それ”に関する設定から。
作中の流れで判明している事柄を整理し、それぞれについて考察してみましょうかー。
- ”それ”は移された人間にしか見えず、徒歩でゆっくり追い続けてくる。姿は変わる。
- 性行為で相手に移す事ができる。
- 誰かに移しても見える状態は変わらない
- 移された人間が死ぬと、移した人間が再び追われる。
- 本人(と移した人間)にしか見えないが、殴れば当たる。銃も当たる。
③の『移しても見える』に関しては、自分が移した相手だけ見えるのか、一度”それ”に追われたならばずーっと見えるのか、一定期間なのか、そこらへんは不明。
④に関しても色々と疑問は湧きますが、とりあえずそのままで流しておきましょう。あとから触れます。
この”それ”が何を表しているのか…がこの映画最大の考察ポイントなわけですな。
『性行為で感染する』『死に至る』という特徴から「性病やHIVを暗喩しているのでは?」とすぐ浮かびますが、個人的には違うかと。単にHIVや性病のメタファーだとしたら、あまりにも浅すぎません?
実は劇中で答えを言っているも同然の部分があるんですよ。足を撃たれたメガネっ子が、サンドイッチ喰いながら読み上げている一文がそれです。
「人にとって最悪の苦痛は、あと1時間、あと10分、あと30秒、そしてこの瞬間、魂が肉体を離れる(死ぬ)と認識すること。この世の最悪はそれが避けがたいと知ることだ」(要約)
これが全てを表しているじゃあーりませんか。
ちと悲観的な表現ではありますが、人は生まれた瞬間から『あと50年、あと10年、あと24時間』と、ゆっくり死のカウントダウンが始まっているのです。そしてそれを避ける術はない。単に目に見えていないだけです。
健康で、なおかつ若ければそんな事を意識して生きている人はあまりいないでしょう。しかし病気や思いもよらない事態により、”それ”を認識させられる場合もある。
そう、”それ”です。
ゆっくりゆっくり、しかし確実に迫ってくる”それ”は”死”のことであると作中で明言しているのですよ。”見える”は”認識する”という事です。
では『性行為』は何のメタファーなのか。
これはかなり多くの解釈ができますが、もしかしたら『愚かな行為』『一時的な快楽』を示唆しているのでは…とも。
酒やタバコ、ジャンクフードなど、身体に良くないとは知っていても「これが死を呼び寄せている」と明確には認識してないのが一般的じゃないですか。しかしそれは確実に死を近づけている(あくまで可能性の範囲ですが)。
そして『誰かに移す』という設定をそのまま解釈すると『死を認識させる』という事に。
それまで”死の訪れ”というものを考える事もなく生きてきた人間に、死は確実に迫ってきている事を再確認させる…という表現と捉えられないかと。
「いやいや!俺に死なんて迫っとらんて!」と言ってしまうのは、”それ”が見えていない状態と同じ。生きている以上全ての人に死は迫っているのです。その距離が近いか遅いかだけ。
となると、『誰かに移すことで逃れられる』という設定が「あれれ?」になりませんか。死は誰かに移して避けられるものではありませんから。
しかしこの設定、あくまで「ヒューがそう言っていた」というだけで、作中で一切証明されていないんですよ。
冒頭の女性、そしてグレッグの死の状況など、もしかしたらそうなのかも…と思える展開は多々ありますが、ヒューのその後が描かれていないので確実なものとは言えない。
人間は太古の時代から死を避ける方法を模索し続けており、中には今の時代となっては笑い話のような『不死になる方法』もある。この設定はそういった『死を避けられる(と勘違いしている)人間の愚かさ』の類かもしれません。
そして最後にもう1個。設定には入っていませんが非常に気になった部分を。
物語終盤、プールでのグダグダでジェイを追ってきた男は『ジェイの父親』の姿をしていました。一度も登場しないクセに、劇中で何度も写真が出ていた事から重要な要素であると思われます。
そしてグレッグを殺した女性も、彼の母親の姿なのですよ…。
ドアを叩かれて「なんだよおふくろ!」と勘違いしただけ、と思った方もいるかもしれませんが、序盤にジェイの家が騒ぎになっているのをグレッグと二人で窓から見ていた女性その人です。
つまり『最終的に死は親の姿で訪れている』のです(ジェイは未遂)。
これ、結末の解釈にも影響する重要ポイントなのではないかと…。
謎を考察・解説
長いっっ!!
私、リアルでも話の長い人は嫌いなんですよ。要点を簡潔に話せない人とは会話したくない派です。
この映画の戯言も、
『冒頭にお姉ちゃんがおっぱいぶるんぶるんでダッシュ!』
『ヒューのベッド横にはエロ本と使用済みのティッシュ!』
『グレッグは経験豊富だから正常位!でもポールは童貞だからジェイが騎乗位でリード!』
といった部分だけに焦点を当てて話せれば簡単だったのですが、設定と暗喩に触れただけでこの有様ですもの。
さらに鑑賞者ほぼ全員が盛大にツッコんだであろう『プールで感電させるの!?つーか”それ”って感電するの?』→『感電作戦じゃなかったんかーい!!』も掘りたかったのに…。文字数の関係で飛ばします。ぐすん。
最後にどうしても触れなければならない『ラストの解釈』だけ、いってみましょう。
長くて飽きてきた方はココでいったんスマホを置いて、ファミマに行ってファミチキを買ってくると良いですよ。え、最寄りはローソン?じゃあ唐揚げくんで。
・・・・・・・。
・・・おかえりなさい。私のファミチキも買ってきてくれました?じゃあ行きますよ。
プールの後からいきましょうか。
エスパー伊東(ポール)はプール大作戦の後、念願かなってジェイとエチチな行為に及ぶことができました。もう誰もが「助けたいとか言ってるが、絶対おまえジェイとヤリたいだけだろ」と思ったでしょうが、とりあえずおめでとう。
その後、彼は路上の売春婦を見つめ、最後にジェイと共に歩く背後から『誰かが歩いてくる』で終幕です。
ここ、描かれていない部分を考慮すると3つのパターンが考えられますな。
- ”それ”はプールで死んだ。ジェイとポールの行為は単なるおセッ〇ス。売春婦も見ただけ。最後に後ろにいるのもただの通行人。
- ”それ”は死なず、ジェイからポールに移った。ポールは売春婦を買って移した。後ろのは通行人。
- ”それ”は死なず、ジェイからポールに移った。売春婦は見ただけ。最後に後ろにいるのは”それ”。
①がハッピーエンドですが、それでは映画にならないので無し。
②も映画としてはつまらなくなるだけですが、この可能性を残しているからこそ変な余韻が楽しめるわけですな。
まぁ普通に考えりゃ③でしょう。
しかし先ほど考察したように”それ”が”死”の暗喩だとしたら、認識しているかしていないかの問題であって、人に移して逃れられるものではない。
つまり・・・
- ”それ”は死なず、ジェイからポールに移ったが、『ジェイが逃れた』のではなく『ポールも共に認識できるようになった』という事。売春婦は無意味。後ろにいるのは”それ”。
という解釈もできるわけです。
となると最後の『手を握り合って歩く。背後には”それ”が迫りながらも、振り返ることはない』という表現は、彼らが『生きる以上、常に死というものが迫っている事を認識し、共に生きていく』てな事を表現しているのではないかと。
刹那的な人生を送っていた若者達が、自分にもいつか死が訪れるということをしっかりと自覚し、そのうえで今を大事に生きていくことを決意する。
なんとまぁ素晴らしい結末と捉えることができるじゃないですか。
いわばこの物語はジェイとポールの成長を描いた作品とも言えるのではないかと。
『自分にもいつか死が訪れる』を安易に捉えていた人間(冒頭の女性とグレッグ。女性は後悔の言葉から、グレッグはそのキャラからそう見受けられる)はあっさり死んでいるところからも、なおそう感じさせられます。
超個人的な戯言感想
ちょっと待ってよ、なんなのさ。
この作品は『おセッ〇スすると素っ裸のヤバいヤツが襲ってくるぞ!誰かとヤッてうつしちゃえ!』という設定ですぞ。なぜ若者の成長劇の話になるんですか。
もっとおバカで下劣な戯言を書きたかったよ、ホントにもう。
あ、そういえば・・・・
実は私も最近、ゆっくり歩いて迫ってくる”それ”に追われているんです。誰か移させてくれる方はいませんか?いえいえ、決してヤリたいだけではありませんよ、純粋に死にたくないんです。
大丈夫、私とした後にすぐ旦那さんなりパートナーなりとおセ〇クスして頂ければ、あなたは安全ですから。
そして後はパートナーが浮気してくれれば、なんと浮気相手になすりつける事ができるんですぞ。素晴らしいでしょう?訴訟を起こすよりも効果的でしょう?
さぁ人助けだと思って、「私でよければいいよ」という方は連絡を下さい。もちろん女性に限りますよ。
・・・あれ?
そういえば”それ”って同性の姿のパターンもありましたよね。グレッグは死ぬ時に母親の姿の”それ”に素股(パンツ着用)をされていましたが、同性だったらどうなっていたのでしょう…。オッサンと股間を合わせてスリスリ?
ぐえー、そりゃ死よりも苦痛だ。