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予告編を見た方のほぼ全員が「なんだその設定は!?」と感じたであろう、不思議な世界の「スイス・アーミー・マン」

そして本編は予告を上回る、さらにカオスな展開が待っています。

スイス・アーミー・マン
(原題:Swiss Army Man)

2016年

主なキャスト:

ポール・ダノ
ダニエル・ラドクリフ
メアリー・エリザベス・ウィンステッド

監督:ダニエルズ(ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン)
脚本:ダニエルズ (ダニエル・シャイナート、ダニエル・クワン)

ネタバレ無しのあらすじ

無人島で助けるを求める孤独な青年ハンク(ポール・ダノ)。助けも来ず、絶望の淵で自ら命を絶とうとする彼の前に男の死体(ダニエル・ラドクリフ)が流れ着く。

その死体から漏れるガス(オナラ)に浮力と推進力があると感じたハンクは、まさかと思いつつまたがってみると・・死体はまるでジェットスキーのように沖へ向かって発進!!なんじゃこりゃ!?

その死体の名はメニー。まるでスイスアーミーナイフのような便利機能を備えた彼だが、記憶もなく、「生きる」という喜びを知らない。

互いに生きる喜びに欠けた者同士、力を合わせていくことを約束した二人は、無事に大切な人がいる故郷に戻ることができるのだろうか・・・

・・といった内容の作品。

鬼才ダニエルズ

このなんとも不思議な作品を手がけたのは、ダニエル・シャイナーとダニエル・クワンからなる、通称「ダニエルズ」

監督から脚本、編集、出演、果てはスタントまでこなすという彼らは、もともとMV(ミュージックビデオ)出身ということもあり、今作品でも素晴らしい映像と音楽の融合を見せてくれています。

そして胸を打つような美しさだけでは終わらせず、そこに下品な下ネタをがんがんぶっこんでくるという・・・。

「映像+音楽=美しい映画」そして「美しい映画×オナラ×下ネタ=感動」(笑)

もうただただ感服するのみです。いろんな意味で。

ダニエル・ラドクリフ

まだ子役だったり無名な時期に出演作品がメガヒットしてしまうと、どうしてもそのイメージがついてまわってしまう俳優は多くいます。

ダニエル・ラドクリフも「ハリー・ポッターの人」のイメージが強くありますが・・・その後の彼はそのイメージから脱却するため、本気で俳優の幅を広げようとしているのが伝わってきます。

「いつまでもそのイメージから抜けられない俳優」や「脱却しようと模索するあまり、迷走してしまった俳優」も多い中、とても頑張っていると思います。

イライジャ・ウッドも、サイコな役柄を演じたりと頑張ってるよね。

そして今回は「万能機能付きの死体役」という・・・俳優の幅が広がっているのかどうか、よくわからないような方向へ(笑)

難しい役柄ながら、「彼で良かった」と思える演技を見せてくれました。

ここからネタバレを含むよ!

「生きる」とは・・・

この作品から「何を感じるか」は、本当に人それぞれになると思います。

サンダンス映画祭で上映された際も、その「あまりに奇抜な設定」と「下品な表現」に耐えられず、途中退席する観客もいたとか・・・。

本音と建て前

とにかく下品なネタが多いこの作品。

メニーの機能も「オナラで進む」「勃起で方位を指し示す」などなど、下品極まりない。さらに二人の会話もクソだとか自慰だとか、中に入れたいだとか先っぽだけだとか・・・何をいってるんだおまえら的なノリが多く含まれています(笑)

それを「不快」と感じるのは簡単なのですが、なんというか・・・この作品は「その奥に何があるのか」という事を考えたくなる作品です。

一般的に、「人の本性をさらけだす」というテーマを追求していくと、醜い結果になってしまいがちです。

欲望であったり、本能であったり・・・「人間が普段隠していて生きている事」に、あまり美しさはありません。だからこそ人には見せずに生きています。

メニーはその「生きている人間なら、普通は隠したい部分」でも、遠慮なしにガンガン食い込んできます。なんたって死体ですから。

しかし決して醜いとは感じない。むしろ人間本来の、真っすぐな姿とさえ感じます。

オナラは隠したいものですし、自慰も人には言わないものです。好きな人がいてもアレコレ余計な事を考えてしまって、単純に「好きだから」という理由で行動できない。それが現代の「生きる」なのですが・・・この映画を観ていると、そんな事にすら疑問を感じてしまいます。

メニーに自分を投影

ハンクのスマホ待ち受けになっていたサラ。ハンクの彼女かと思いきや、実はそうではない。しかもその写真も隠し撮りしたものでした。

サラの写真を見たメニーは彼女に惹かれ、隠す事なく本音をぶつけてきます。その姿はハンクにとって「本当は自分がありたかった姿」なのでしょう。

記憶を失っているメニーに「サラは君の彼女だ」と嘘をつき、まわりのゴミを使ってバスを作り、仮想の愛情劇を披露する。空想の世界ですが、メニーに「サラとの愛が成就した世界」を体験させてあげようとする。必死に女装までして(笑)

メニーに対して「生きる」事を鼓舞するための行動としていますが、ハンクがメニーに自分自身を投影しているのでしょう。

「こんな風に行動したかった。そしてこんな展開を迎えたかった」・・と。

解釈によっては「死体なのにメニーが話す」という設定は、実際に話しているわけではなく「ハンクの本音・心の声が、メニーを通して聞こえている」ともとれます。

オナラなのに感動する

生きているのに「生きる喜び」を失っているハンク。死んでいるのに「生きる喜び」を真っすぐ求めているメニー。

非常に奥深く、果たして自分は「生きている」といえるのだろうか・・・と、考えさせられる映画でした。

私は変人ですので、オナラも自慰も勃起もウンコも、わりと人に対してオープンにあけっぴろげて生きているんですけどね(笑)

ラストの見解も、どう解釈してよいのか難しい部分がありますが・・・それでも観終わった後に残ったのは「すがすがしい感動」でした。

あーだこーだと面倒くさい理屈でがんじがらめになっている現代社会。人間本来の「生きる喜び」について考えさせられる、良作です。

ちょっと人を選びますが、おすすめの1本です。

ただし・・・・

「ハリー・ポッター」が好きなお子様と一緒に見るのは危険なのでやめましょう。めっちゃ悪影響があります!(笑)