【当ページには広告が含まれています】

雰囲気良し、しかしアレとかコレに問題あり…の『映画/インビジブル 暗殺の旋律を弾く女』でネタバレや盲目設定の解説・考察を含む戯言を。

相変わらず邦題を考える人間は頭にウ〇コが詰まっているようですな。なにこのサブタイトル。アホなの?

インビジブル 暗殺の旋律を弾く女


2018年 アメリカ

キャスト:
ナタリー・ドーマー
エミリー・ラタコウスキー
エド・スクライン
ヤン・ベイヴート
ジョエリー・リチャードソン
ニール・マスケル

監督:アンソニー・バーン
脚本:アンソニー・バーン、ナタリー・ドーマー

ネタバレ無しのあらすじ

盲目の美しきピアニスト、ソフィア(ナタリー・ドーマー)。

ある日、彼女の自宅上階に住むベロニク(エミリー・ラタコウスキー)がベランダから転落死。事故の直前に謎の男と言い争っていた声を聞いていたソフィアだが、なぜか警察にはそれを証言せず、自殺として処理されようとしていた。

しかし自分を目撃されたと思った男(エド・スクライン)は、証拠を消すためソフィアに迫り・・・あれ?こいつガチで盲目?てことは俺見られてない?

・・・といった流れで、設定は良いのに細かい部分が残念すぎる作品。実にもったいない。

キャストで戯言

やったぜ主演はナタリー・ドーマーだぜ、ひゃっほう!

…と喜んだところで、共感してくれる方はおそらくごく少数。一般的な映画好きは「誰?」かと。

この勝気で不敵な表情がたまらんじゃないですか。なのにただクソ生意気なだけでなく、美しさと優しさを兼ね備えておられる。個人的に大好き女優トップ3に入るナタリー・ドーマーが主演というだけで、もう見る価値ありですよ。

しかしそれより皆様こっちでしょう?上階に住む美女、ベロニク役のエミリー・ラタコウスキーのほうがお好きなんでしょう、どうせ。

たしかに彼女も美人でたまらんのですが、この人は役どころ次第で当たり外れが激しいからねぇ・・・。とりあえず今回はハズレですかな。さほど見せ場もありませんし。

もっと彼女の魅力に迫りたい方は、

セクシーな下着姿でたっぷり見たい!!
『映画/インモラル・ルーム』

チョイ役でいいから生チチが見たい!(しかも若い!)
『映画/ゴーン・ガール』

…がお勧めですぞ。

ついでに、悪の親玉ラディチを演じるヤン・ベイヴートの魅力を存分に味わいたいニアック野郎は、本作以上に理解に苦しむ怪作『映画/ボーグマン』を見るが良かろうぞ。


ネタバレあらすじと解説

まず『IN DARKNESS』という原題に『インビジブル』なんて駄邦題をつけ、さらに『暗殺の旋律を弾く女』などという最低サブタイトルを付けた人間は映画関連の仕事を辞めてもらって結構。そんな頭ならばコンビニで弁当でも温めているほうが世の為かと。

そこですでにネタバレていますが、盲目の女性ソフィアはただのピアニストではなく暗殺者…というわけでもないか。

ココらへんは作中で分かりやすく解説されていないので誤解してしまう方も多いかもしれませんが、決して暗殺を生業としているわけではなく、復讐のためにラディチの命を狙っている…というわけですな。

とにかく全体的にご都合主義で穴だらけな脚本なのですが、衝撃ポイントは何ヵ所か存在。

ただしこれもまた穴だらけと言いますか、ツッコミどころだらけと言いますか…

もっと上手に練れば面白かったであろうに、えらく中途半端なせいでモヤモヤが残る結果になっております。ちょっと項目ごとに独自解釈を交えて解説してみますかー。

注!)ここからは超ネタバレなので閲覧注意

盲目なの?盲目じゃないの?

ここが一番のドッカンネタ。

『ソフィアは盲目ではなかった!!』のどんでん返しですな。

これ、映画慣れしている方ならばかなり早い段階で「どうせそんなオチでしょ」と予想は付くかと。
(部屋が綺麗とか化粧バッチリとか、そういう揚げ足取りのような理由からではなく)

しかしそうなると考えられるパターンは大きく分けて2つなのですが、このどちもなんとも腑に落ちない。

ちとパターンごとに考察してみましょうか。


ガチで見えているが、盲目のフリをしていた

これが最も納得のいかないパターン。

『部屋が綺麗』『化粧バッチリ』を伏線だったと捉えたい気もわかりますが、それは見当違いでしょう。

たしかに盲目にしては綺麗すぎますが、そこは映画ですよ?寝起きなのに化粧バッチリだったり、走り回って汗だくになっておきながら、次のカットでは綺麗に整っているのが映画ですよ?

「いい靴ね」のセリフを伏線と捉えるのはアリかと思いますが、そもそも『実は見えていた』という前提ではおかしい描写がありすぎる。

部屋に侵入していた男に全く動じなかったのはまぁ良いでしょう、それだけの覚悟の現れ…と解釈する事もできますし。

しかし大事な大事な毒殺の場面でも全く見えていないってのはおかしいにもほどがある。この時のために盲目のフリをしていたんだろアンタは。ここでまで「メガネ、メガネ・・・」とやっててどうすんのよ。

『ラディチに復讐する』という目的のための『盲目』のはずなのに、目的遂行に支障をきたす部分まで盲目を演じているというのはあまりにも不自然すぎる。


自己暗示等により見えなくなっていた

これが最も理にかなっており、映画的にも面白くなる解釈ですな。
(ただし激しく残念なポイントあり)

実はラディチに射殺されたのは姉ではなく、盲目の妹。ソフィアは目隠しでピアノを弾かされていた姉(目は見える)のほうでした…という衝撃の結末。

父が言っていたという『盲目の気持ちを理解するため…』というセリフが伏線ですな。

ソフィアはずーっと「私は盲目…私は盲目…」と自らに暗示をかけることにより、本当に見えない(ような気分)で生活していた…というオチであれば、それは映画としてアリではないかと。

むかーし『映画/武士の一分』で盲目の剣士を演じた木村拓哉が「役に入りすぎて、車を運転している時にも『俺は目が見えない』と思い込んでしまい、危うく事故りそうになった」と話していましたが、それをとことんやっていた、という事ですな。

そしてラディチの死により呪縛から解放され「そういやあたし見えたんや!!」と思い出し、それまでの『見ていたのに、見えていないと思い込んでいた事』を辿ることができた・・・という流れが最も映画として受け入れ易く、なおかつドラマティックかと。

ところがどっこい・・・

だったら途中でちょいちょい見えている演出を入れちゃダメでしょうよ!!

特に警察署でマークの手配書を見て引き返すシーン。あの時点で「見えていた」では、やっぱり「見えているけど見えないフリをしていた」という事になってしまい、全てが台無し。

なぜあそこにドヤ顔で『衝撃の真実』的な流れを入れちゃったかね。あれさえなければ、そこまでの「あれ?見えてんじゃね?」的な部分はまぁ映画という事で流す事もできたのに…。

ソフィアはラディチの娘…ではない

前述の盲目ネタの前、1発目のどんでん返しとして、

『ラディチは過去にソフィアの母を暴行。それにより妊娠し妹が生まれた』

という衝撃展開(これも途中で読めますけど)がありますが、その後のどんでん返しで『ソフィアは盲目の妹ではなく、姉のほうだった』がありますので、ソフィアはラディチの娘ではありません。

さらにアクロバティックにひねって『盲目なのは妹ではなく姉のほうだった(死んだのは姉)。やはりソフィアはラディチの娘だった』などと強引に解釈したい方もいるかもしれませんが、それではラディチのセリフが破綻しますし、過去の描写でも明らかにソフィアのほうが年上。やっぱりソフィアはラディチの娘ではありません。

というかそもそも『隣の盲目の女を暴行した。その後に彼女は身ごもった。で、生まれたお前は俺の娘だ』てのも若干無理がありますけどね。暴行前にすでに妊娠していたかもしれませんし、暴行直後に妊娠したかもしれませんし。

私の知り合い(日本人。奥さんも日本人)に『立ち合い出産をしたら明らかにハーフっぽい赤ん坊(金髪)が出てきて、喜んで良いのか悲しんで良いのかわからなくなった』という体験をした方がいますが、出てきた子が誰の子かなんて旦那はおろか母親すらわからん場合もありますし。

超個人的な戯言感想

とにかく脚本の練りが甘い。

浅い素人はこれでも「深いシナリオで面白い!」などと思うかもしれませんが、目の肥えた映画マニアは納得いかんことだらけでしょうよ。

『In darkness』(暗闇の中)という原題を、『盲目』という意味だけでなく『全ては闇の中…』という事も暗示しているのでは・・などと勝手に察して納得しようにも、バカな邦題(しかもネタバレ)に変えられちゃっていますし。

決してつまらなくはないものの、とにかく惜しい。もう少し緻密に練れば素晴らしい映画になったのでは…という思いが拭えませんなぁ。

せっかくナタリー・ドーマーが惜しげもなく生チチを晒してくれているし、内容が伴っていれば個人的に殿堂入りも果たせたというのに…。