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今回の一本は『映画/ザ・ドア 交差する世界』、北欧の至宝マッツ・ミケルセン主演の映画になります。あらすじやネタバレを含みますのでご注意下さい。

なにかと格好良い役が多い彼ですが、本作では落ちぶれてみたり滑って転んでみたり…ややショボくれた役どころ。しかしそれでもカッコ良いのが悔しいですなぁ。

ザ・ドア/交差する世界
(原題:Die Tür)

2009年 ドイツ

主なキャスト:

マッツ・ミケルセン
ジェシカ・シュヴァルツ
ヴァレリア・アイゼンバルト

監督:アノ・サオル
脚本:ヤン・ベルガー

ネタバレ無しのあらすじ

近隣に住む女性と浮気をしている画家のダビッド(マッツ・ミケルセン)。彼はその情事の最中に娘レオニー(ヴァレリア・アイゼンバルト)を事故で亡くしてしまう。

夫婦仲も上手くいってなかったダビッドはその事故により妻マヤ(ジェシカ・シュヴァルツ)と離婚。全てに絶望した彼はレオニーが亡くなったプールに身を投げるが・・・友人の助けにより死ぬ事もできず。

ただただ人生を見失っている彼が見つけたのは一枚の「ドア」

なんとその先には、5年前のあの日とまったく同じ光景が待っていた・・・。

・・・といった内容の作品。


ここからネタバレを含むよ!

タイムスリップ・・ではない

くそう・・あの頃に戻れたらっ!・・・という「やり直したい出来事」はありますか?

私ですか?私はぜひ15年くらい前に戻りたい。

学生時代に好きだった女の子と偶然居酒屋で出会い、あれよあれよという間に「今日は帰りたくないなー」てな感じの雰囲気になるも・・・あまりにも美味しすぎる展開に怖気づいてしまい、何もせずに送り届けてしまった…という一生後悔モノの出来事をやり直したいです。

あの時あんな事やこんな事になっていれば、今頃どんな人生になっていた事か…。過去に戻って愚かな自分をグーで殴って入れ替わりたいです。

ええ、この作品中でのダビッドに比べれば、もう屁みたいな後悔ですよ。

彼がドアを抜けた先は「5年前、レオニーがプールに落ちた日」であり、一見タイムスリップのようですが・・・そうではないんですよね。

そこは「そっくりの世界」「5年遅れている」というパラレルワールド。

この設定であれば、タイムスリップ作品の宿命とも言える「過去に干渉してしまう事で未来が変わったり変わらなかったり」といったパラドックスもなく、思う存分やりたい放題できますな。これはアイデア賞モノ。

・・・が、これはこれで別な疑問や矛盾が出てくるんですよね。。。。それは最後に触れる事にしましょう。

5年

人の外見で「5年」の歳月って、ルックス的にかなり差がありませんか?自分の5年前の姿を思い浮かべてみてください。ちょっと毛を染めたりしたくらいで誤魔化せるレベルではないかと。

そのへんはまぁ「エンターテイメント」という事で置いておきましょう。毎日顔を合わせている奥さんまで気づかないというのは、それだけ夫婦仲が冷めていた・・という表現でもあると思います。浮気相手はすぐ気づきましたし。

同じ世界?

「映画の矛盾点を突く」ってのは場合によってはただの揚げ足取りになってしまいがち。この作品に対するツッコミも矛盾点というよりは揚げ足取りです。でも疑問に思ってしまうのだから仕方ない。

ものすごくひっかかったのは『ドアの向こう側は5年前と全く同じ世界になっていた』という点です。

あちらの世界もこちらと同じ人がいて、5年前時点と同じ生活をしています。ダビッドが最初に訪れた時の光景も寸分違わず同じです。

物語中盤、隣人のシギーが「あっちの世界から来たヤツはたくさんいる」と言っていました。

それぞれドアの向こうから来た目的は違えど「自分が後悔している事」や「こう生きたかった」という事があって、それを満たすためにこちらに来て入れ替わるわけですから…以前と異なる行動をしますよね?ダビッドがそうであったように。

それって少なからず周囲に影響を及ぼすと思うのですが…。

ダビッドが訪れた時に完全に同じだったという事は・・・それ以前に来ていた人たちは、何も変わらず5年前と同じ行動を続けていた・・って事にならないでしょうかね・・。

ラスト、その後。

物語ラスト、こっち(5年前)の世界には5年後のダビッドとマヤ。あっち(もともとの世界)には、5年前のマヤと娘レオニー。

その状態でドアの通路は閉じてしまいました。

その後どうなるのかを想像させる終わり方ですが、もうあっちもこっちも「これからどうするの?」と心配に。

まずはあっち(もともとの世界)

マヤはいないので問題なく入れ替わりできるでしょう。ちょっぴり見た目が若くなっただけですから、高級なエステにでも行ったと思えば問題無し。しかしレオニーは・・・もう5年前に死亡届けを出してしまっているでしょうし、社会保障番号もありません。

しかもあっちでマヤは「音楽の先生」と住んでいます。まだ婚姻関係にはないようですが、同棲しているご様子。

「ドアを通って5年前に来たマヤ」が、しっかりそのへんを清算してから来てくれていれば良いのですが・・・なにも告げずに来ていたら大変ですよ。

あっちの世界から来たマヤからすれば「え?誰これ?」という相手に親しげに迫られる事になっちゃいますから。

彼からすればマヤが5歳若くなって嬉しいところですが、なんと一瞬にして子持ちになっていますし(笑)

どっちにしろ、ここの関係はもう無理そうですな…。

ではこっち(5年前)

こっちは結果的に、ドアを抜ける前の現実と同じです。

ダビッドとマヤ。レオニーはいない。

そんな彼らが寄り添い、再びやり直すのかどうか・・とても感慨深い余韻を残してくれました。

・・・が、まずは目の前の事をどうにかしましょうよ。

ダビッドはシギーを車アタックでドアもろともドーン!ですよ。警官もいましたし、他に多くの目撃者がいました。どうみても「公衆の面前での殺人」ですよね・・・。

調べられりゃ庭の死体も出てきますし、吐くまで追求されれば友人殺しもバレるかもしれません。マヤとやり直すうんぬんの前に、タイーホです。

しかし、どうやらダビッド宅に来た警官も含め「この辺の人たち、全員入れ替わってんじゃないの!?」ってくらいに、あっちの世界から来ている方のようですので・・・・

「うん、今回はこれで解決ってことで。ドアも壊れてこれ以上増えないし、あとは上手い事やっていこうよ」

みたいな感じに落ち着いちゃうんでしょうか…。

戯言感想

そんなこんなでイロイロと揚げ足を取りやすい作品ですが、ほんとラストの余韻は好きです。

明確なハッピーエンドでも、あからさまなバッドエンドでもない。どちらになるかはそこからのダビッドとマヤ次第…という。幸福感でもない、絶望感でもない、かといってモヤモヤした感情でもない、ある意味すがすがしい感覚が残りました。

ついでにどうでも良い話ですが、作品中でダビッドが書いている「マヤとレオニーの絵」も深くて好きです。

母と娘が不快な表情で顔をそむけあっているが、フックのせいで離れる事ができない。痛みを伴う絆。

このあたり、映画でもっと描かれるのかと思いましたが残念ながらそれは無かったようです…。