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「あなたは死の瞬間を観たいですか?」とかキャッチコピーつけられても「いや・・・別に・・」としか答えようがない「映画/スーサイド・ライブ」

自殺をテレビで生放送する、という設定に「どうせアレでしょ?ファイナルなんちゃらシリーズみたいな、エグい死亡シーンの連発を楽しむ系でしょ?」と高を括って鑑賞を始めた作品なのですが・・・ごめんなさい、侮っていました。

これは単なる「死に死に映画」ではありません。ちょっと安っぽい感はありますが、しっかり社会問題もテーマに入れた作品でした。

スーサイド・ライブ
(原題:THIS IS YOUR DEATH)

2017年 アメリカ

主なキャスト:

ジョシュ・デュアメル
ケイトリン・フィッツジェラルド
ジャンカルロ・エスポジート
ファムケ・ヤンセン
サラ・ウェイン・キャリーズ

監督:ジャンカルロ・エスポジート
脚本:ケニー・ヤッケル、ノア・ピンク

ネタバレ無しのあらすじ

視聴率の低迷に苦戦していた放送局、WBC。ある日、アダム(ジョシュ・シュアメル)が司会を務めていたバラエティー番組内で「出場者が生放送中に自殺する」というショッキングな事件が発生する。

その放送が予期せず高視聴率を記録したことで、なんとWBCは「自殺の瞬間を生放送する」という前代未聞の番組企画を立てる事に。さらには事件のせいで世間の注目を集めていたアダムを司会として起用しようとする。

当初は反対していたアダムだが、自身の中にあった「テレビ放送に対する想い」を伝えるべく、全ての構成を自分に任せるという条件で司会を受け、ステージに立つ。

賛否両論を呼ぶ中、思惑通りに高視聴率を叩き出した番組だが・・・企画内容はどんどんエスカレートしていき、アダム自身も暴走していくのだった。

・・・といった内容の作品。

自死、という行為について

まずこの映画の内容うんぬんの前に、1点だけ前置きさせて下さい。

私は「自殺」「自死」というものについて、親しい友人・親族関係での経験、そして自分自身の経験から、並々ならぬ想いがあります。

「自死」という決断を軽んじるつもりもありませんし、面白がってネタにする気など毛頭ありません。

当ブログの特色として、ふざけたノリでの文章が多くなりますが、どうかご気分を悪くされませんように。

なお、文章中では「自殺」と統一して記述させていただきます。


まずはネタバレを含まない話だよ!

侮っていた・・・

冒頭でも書きましたが、ホントよくありがちな「ショッキングな死亡シーンの連発で押す、B級ショッキングスリラー映画」だと思っていたんですよ。

殺人シーン連発の映画は多くあるので、じゃあ自殺の連発ならどうだ!?・・みたいな、ちょっとひねった系なのかと。

ところがどっこい、そこにあったのは意外にも「社会が抱える問題」に対する提議。

テレビ業界を含むマスメディアのあり方、格差社会での雇用問題など・・・あれれれ、頭空っぽでグロを楽しむような映画じゃないよ!?

キャストで戯言

そしてキャスティングも意外。こんなB級臭い映画のクセに、俳優もけっこう有名どころが起用されています。

主演のアダム役、ジョシュ・デュアメルは「映画/トランスフォーマーシリーズ」にも出演していますし、その妹役のサラ・ウェイン・キャリーズは「ドラマ/プリズンブレイクシリーズ」や「ドラマ/ウォーキング・デッドシリーズ」などの他、ちょいちょい脇役として映画作品に出演しています。

どっちが主演なの?と言いたくなるほど重要な役柄のメイソンを演じるジャンカルロ・エスポジートは大御所と言っても良いほどの俳優ですし、今作ではなんと監督も兼任でした。どうりで美味しいトコを持っていくわけだ…。

アダムのパートナーとなるシルヴィア役・ケイトリン・フィッツジェラルドは、日本での公開作品は少ないものの、個人的にど真ん中ストライク。こういう「ちょっと庶民的な雰囲気のあるスレンダー美人」は良いですなぁ。

ついでにファムケ・ヤンセンも出演しています。出演作の多い女優さんですが、こちらは個人的には無しです…。

ここからネタバレを含むよ!!

「自殺」が見どころではない

番組の放送が決定し「さぁ1発目の自殺者だ!」という事で・・夫と子供の問題に悩む女性が出演します。

バスタブに潜って・・・ぶくぶく・・・・・

「え?それで死ぬ気?無理でしょ、それじゃ」と思ったら案の定、ぷはー!と出てきてしまう。そして近くにあったラジカセをバスタブに落として感電死。

・・・・エグいなぁ。

ある意味、普通に首絞められて死ぬよりエグい。死の映像そのものではなく、いったん失敗のように見せるところがエグいです。

リアリティうんぬんの話はさておき、単純に死亡シーンを楽しむ映画ではない・・という雰囲気が、1人目から漂います。

予想はつくものの・・・

そして「自殺の生放送」というテレビ局の話と同時に展開されるメイソンの苦悩。

序盤にちょっと交差するものの、その後は交わる事なく進む彼の人生ですが・・・もう観ている人は予想つきますよね。「ああ、このオジサンが最後に出演する事になるんだろうな」と…。

さらにアダムと妹との関係なども加わり・・全体的に重い感じの内容で展開されていきます。

そんな中、WBCは二回目の自殺放送を決行。なんと今度は「出演者で競わせる」という…。

ここの自殺演出はまさにデス・エンターテイメント系で、生々しさよりも演出重視のような死にざまでした。最初からこのノリであれば「ははは、くだらないなぁ」で観れていたのですが、それ以外の重いテーマを盛り込んだ後にこんなノリを見せられても空寒いだけ。

そしてこれも予想通りというか、やはりアダムは変な方向へと暴走していくのでした。

せっかく「マスメディアの在り方」や「テレビ放送に対する姿勢」などを問うために始めた番組なのに・・・やはり人間は周囲からもてはやされるとダメになっていくのね・・・。

予想外もありつつ・・

結局のところアダムは当初目指していたものを見失い、ごく限られた周囲からの称賛に酔い、ただの「自殺者を食い物にする人間」に成り下がってしまいました。

最後の最後、妹まで自殺志願者として出場してくるとは・・。

てっきりここ、妹とシルヴィアがグルになって「アダムに目を覚まさせるため」に一芝居演じたのかと思いましたが、そういう「実は死んでませんでしたー」という明確な描写は最後までありませんでした。ホントに死んだ・・のかな。

ほんと、ベタなエンターテイメントっぽさが少ないんですよね、この映画。

そしてメイソンは予想通り出場するものの、最後は死なず、家族の待つ家へと戻ります。

他人の死が見たくて集まった観衆に対し、彼が涙ながらに訴えたメッセージは伝わったのでしょうか・・・。

ここからちょっと超個人的な意見だよ。
自分の考えと違うからといって、否定は勘弁してちょ!

最終的にこの映画は「自殺」を肯定する形では締められていません。そこは当然の事だと思います。誰だって最初から死にたくて死ぬわけじゃないですし、そんな事を考えずに生きる事ができれば最良です。

ただ・・私は「死」を選ぶという行動は、本人にとっては大事な意思だと思っています。

目の前に自殺しようとしている人間がいれば大半の方は止めようとするでしょう。「死んだら悲しむ人がいる」「あなたを必要としている人もいる」など・・ありきたりな言葉を投げかけて思いとどまらせようとします。

でもね、自ら「死」を選ぶ人ってのはそんな事は嫌になるほど考えたうえで、最終的な結論として「死」を選んでいると思うんですよ。

もちろん精神的な病などで発作的に自殺行為をとってしまう方もいます。自殺を踏みとどまった事で、その後に幸せな人生を掴んだ方もいます。全ての自殺者が「死ぬことが最上の幸せ」であるとは思いません。

しかし、その人の人生にかかわる事のない第三者が「死ぬな」とか「生きろ」とか言うのは、無責任の極みだと思うのです。

冒頭でも書きましたが、私は親しい友人ならびに親族を自殺で失った事があります。そして私自身も経験があります(もちろん、幸か不幸か今もまだ生きています)

あっさりと「自殺?個人の自由だからいいんじゃない」などとは絶対に思いませんが、そういう決断を否定するのであれば、それ相応の責任と覚悟が伴う事を理解して欲しいとは思います。

もちろん、家族などが止めるのは当然だと思いますよ。なぜ死という行動を選ばせてしまったのかを深く考え、その後の人生を共に支えていく覚悟のある人間が止めるのであれば、至極真っ当な行動だと思います。

・・というわけで

嫌だなぁ。こういう事柄に対して本音を書くと「自分の価値観と違う意見はムキになって否定・批判したくなる人間」が湧いてくるから怖いです。屁理屈大好きっ子が多い世の中ですからね…。

とにかくこの「映画/スーサイド・ライブ」はそんな事まで考えさせられてしまうほど、意外にメッセージ性のある映画だった・・・という事です。

まさに「B級ショッキングホラー」の皮をかぶった狼でした。

てっきり「くっだらない死にっぷりが笑えた」とか「シルヴィアが美人で興奮した」とか、そんな話だけで押せるかと思ったんですけどねぇ。

あ、そういえばジャパンの自殺の代表「腹切り」もありましたね。なぜか前に盆栽が置いてあるという…(笑)

ちょっと「自殺」という事に関してアレコレと持論も入れてしまいましたが、もし不快な気分にさせてしまったならば申し訳ありません。

そんな方いたなら腹を切ってお詫びします。もちろん目の前には盆栽を置いて。